普通の人の顕在意識というのは意識の幅が非常に狭い状態なので、自分の意識の全体の中でも限られた部分しか分かっていない、捉えていない、認識していない状態です。
私たちには「自分は自分である」という自我があります。
これと同じように超越意識の状態に入っても「私は私」という自我が存在することには変わりません。
顕在意識の状態と、超越意識の状態に移行した時の違いは、意識の広がりと、その拡大された視点、拡大された感覚と世界観です。
より現実を広く濃密に捉えることが出来るようになると言うことと、思考の動きが鮮明になり、そして感情の動きは極端に少くなります。
イメージ的に表現してしまうと、全てが澄み渡って鮮明に、そして明確になる、澱みの無い状態になるという感じです。
この超越意識の状態に入ると、一般的な価値観や判断基準などが働かなくなり、頭の中でグニャグニャと紆余曲折した感じで考えることがなくなります。
そうかと言って全く考えられないわけではなく、考えが曲線的や直線的ではなく、点になります。
考えた事や思った事に関する答えが直感という枠を超えて、瞬間的に分かってしまえる状態になるのです。
超越意識に入る時の状況は次の二つに分けることが出来ます。
目を開けたまま意識が変容している状態
目を閉じて瞑想状態で意識が変容している状態
目を閉じている、開けている場合に共通するのは、知覚の変化です。
意識が広がるので、普通の意識状態よりも様々なことが鮮明に受けとれるようになります。
基本的には直感的な理解というものですが、場合によっては更に明確に答えがやって来るようになります。
そしてテレパシックな能力がスムーズに働き始めるので、自分のものではない意識の存在からのコミュニケーションが行われることも多々あります。
その場合は、自分の思考の中に別の思考が入り込んで来るという少し分かりにくい意志伝達ではなく、耳を通さず明確に頭の中に誰かの声が直接的に入って来るように聞こえます。
感覚的には目を閉じていても、開けていても普通の状態よりもとても広い範囲のものをモニターしているのが分かるようになります。
普通の状態では視界に入るものの一部分に意識が当たるのが普通ですが、超越意識の状態では、感覚が360度に広がったような感じ、意識を複数のものに当ててモニターすることが出来る状態に広がります。
イメージ的に書いてしまうと、それまでは一つだった視点が、自分の後ろや横などと複数になり、それらを同時にモニターしているような感じです。
目を開けている場合は普通の状態よりも瞳孔が開き瞬きをする回数が極端に少なくなります。
これは肉眼のレンズを通してより多くの光りを取り込もうとするからです。
そして視覚的に目に入って来る映像が鮮明に、明確に、そして立体的になります。
色彩は色が鮮やかになり、質感も立体的になって、奥行きというものが違った感じで捉えられます。
超越意識の状態に入ると、高次元、または光次元の存在との交流が可能になります。
そして部分的ではありますが、時間軸と言われるものにアクセス出来るようになります。
普通の状態よりも時間という観念が薄くなるためです。
後にも書きますが、一般的にアカシックレコードと呼ばれている、全ての出来事を記録している集合意識の記憶バンク、図書館のようなものに繋がることが出来るようになるのです。
現在までの過去に関する情報や記録、記憶にアクセス可能になるのですが、未来に関しては部分的で、おおよそ確定された未来の現実を認識することが出来て、読み取る事が可能な域の情報を受け取ることが出来るようになります。
目を開けている時に経験するのと、目を閉じて瞑想状態で経験する時の違いは、目を開けている時の方が世界観がより広くなることでしょう。
目を閉じている場合は肉眼で多次元的な世界を見ることが出来ないのです。
目を開けて超越意識の状態に入った場合は、肉眼で目の前の風景を見ているのと同時に、それに加わるように多次元的な世界が同時に見え始めるのです。
例えば私たちのオーラなどは、現れる色彩や、その動きなどが明確に見える状態になります。
目を閉じている場合は脳裏でホログラフィックに映像を視るわけですが、目を開けている場合は、目の前にホログラフィックな映像が現れます。
この超越意識の状態に入ると、多くの人は普通の意識状態との違いに圧倒されるのと、その違いに心を奪われてしまうので、より深い多次元的な体験をしてみようと思う暇がないように見えます。
特に目を開けて経験している場合は、その意識状態で視えているものや、感じているもの、捉えているものに意識が捕われてしまって目をパチクリさせてしまうのです。
そのような超越的な現実に入った経験がないので、経験そのものを上手く認識することが出来ないのでしょう。
何が目の前で起きているのか理解できない状態なので、それを消化するのに精一杯で、それ以上の行動をしようとか、出来るとか考えられなくなるようです。
唖然として驚いている状態が続き、その場に固まってしまうというのが分かりやすい表現かも知れません。
続く・・・
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