私たち人間は生まれた時に「人間操縦マニュアル」というものが渡されません。
人間という生き物はどういう存在で、どんな仕組みになっていて、どのようにすれば人間としての機能が全開できるのかが知らされないのです。
人間そのものとしての機能と、その使い方を知らないので、使える部分は分かりますが、残りの潜在的に隠れている部分に関しては分からないのです。
これは人間の脳は約20%しか使われてなくいと言われるのと同じです。
私たちは生まれた時から自分を取り巻く、親や兄弟、家庭、学校、社会などといった環境と接することによって様々なことを学び始めます。
人間にはその他の動物に比べると飛躍的に発達した学習機能があるということです。
学校では私たち人間の身体の仕組みを西洋医学的な見地から肉体解剖学的に一通り学びますが、深いレヴェルの内容ではなく、東洋医学的な内容は含まれてはいません。
科学の授業でも「電気」はエジソンが発明し、それがどのように働き、何をするかを教えてくれても、実際にそれが「何」なのかは教えてくれません。
これと同じ領域のものに「光り」があります。「光り」の果たす役割というのは分かっていますが、実際にそれが何なのかが判明されていないので、「光子」が起こす「現象」という表現の仕方で終わってしまうわけです。
精神的な在り方の部分では学校での授業の中には社会道徳なども含まれますが、心理学的な内容でないですし、意識の構造やその仕組み、さらには使い方などは一切含まれてはいないのが実情です。
私たちが学校教育で習う「人間に関する内容」というのは非常に部分的で視野の狭いものなのです。
これは多くの人が車を運転することは出来るけれども、車がどのように作られているのか、どんな部品で出来ていて、どのようにお互いが関係して稼働しているのかを知らない状態と同じです。
運転は出来るけれど、何か以上が出たり壊れてしまったら自分では修理が難しいのでプロに頼むしかありません。
その構造を深く理解していないものは、他にもコンピューターやら電子レンジやら、例えれば切りがないでしょう。
それらの日常製品はいつも手の届くところにあって、意識することなく実用的に使えてしまうのです。
そして使うことに慣れてしまうと、無意識的には使っているけれども、それがどういう仕組みなのかを明確に理解しているわけではありません。
多くの人達が捉えている人間の身体というのは、先に書いたテレビのリモコンと同じような位置にあるのです。
気がついたら身体を持っていて、何も深く考えることなく使えるけれど、実際にその中身がどうなっているのか、どんな機能が搭載されているのか、どこのボタンを押せばどういう切り替えが出来るのかを知らない状態なのです。
人間が潜在的に持ち備えている「霊的な能力」に話しを戻しますが、私たちは隠れている能力の「使い方を発見」する必要があるわけです。
言い方を変えると「使い方を思い出す」必要があるということです。
現在のコンピューターのソフトというのは「使い方マニュアル」というのが本体に付いて来ない場合が多々あります。
これは私たちの「人間操縦マニュアル」を持っていない状況に酷似しています。
それは無駄な紙を使わないというエコ的な思考もありますが、インターネットの世界が飛躍的に進化して普及してしまったことが原因です。
現在ではコンピューターとインターネットは切り離せない状態になっています。
そのような現状から、ソフトウェアにマニュアルが本としてついて来なくても、オンラインを通じてマニュアルにアクセスしたり、Q&Aやお客様サービスにアクセス出来るようになっているからです。
潜在的に隠れている能力に関することも、これと同じ原理で捉えることが出来ます。
私たちの意識を潜在意識的な領域と超越意識的な領域に「オンライン」させる、顕在意識をその他に接続することが出来れば、人間を上手く操縦するためのマニュアルにアクセスして必要な情報をダウンロードすることが出来るわけです。
続く・・・
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