火渡り


チャネラーやサイキックという肩書きで生きていると、変成意識状態を経験することが普通の人よりも多い訳ですが、それらの経験の中で分かりやすい例として火渡りに挑戦した時のことを書いてみます。
 
火渡りとは書いて字の通りの、火の上を歩くことです。

シアトルに住んでいた時に、ヒーリングやチャネリングを教えていた生徒さんが何処からか火渡りのワークショップが出来る男性を捜し出して来て一緒に出かけました。

日本では1990年代の初め頃によく火渡りのワークショップが行われていたので、それに参加した友人たちから話しは聞いていましたが、実際に試したことはなかったのです。

奈良の山奥で火渡りに挑戦した女性の友人は「え? こんなに簡単に出来るのって感じだったわ。全然熱くも何ともなかったわよ」といとも簡単に出来てしまうように話してくれたのです。

その頃は火渡りと変成意識状態の関係など結びついてなかったので、どうして火の上を火傷もせずに歩くことが可能なのかなどとも考えてはいませんでした。
 
まず火渡りの前に、直径2センチくらいで長さが2メートル少しある長い鉄の棒を曲げるというワークをさせられました。

ビルを建てる時に使われる鉄筋の素材です。

棒の端を二人で持って内側に曲げても曲がらない代物です。

この鉄筋の棒の片方の端を喉仏の下に当てて、反対側も同じようにもう一人の喉仏の下に当てて二人で向き合って前進して曲げるというワークでした。

こんな鉄筋の棒を柔らかくて壊れやすそうな喉仏の下にはめて曲げるというアイデアに気を失いそうになりましたが、本当に曲がるわけです。

その後に薪をぼうぼうに真っ赤に燃やして、まだ燃えている薪を幅1メートルX長さ5メートルくらいに敷き詰め、その上を裸足で歩くというワークです。

火の道の終わりには一本の松明が置かれ、それを目指して歩けというのです。

しかし目の前で燃えている火の道の上を歩けと言われても、そんなの怖くて出来ません状態です。

テレビの番組でアフリカのネイティブが真っ赤に燃えている石を口の中に入れる場面を見たことがあったので、究極的には可能だと頭でも理解していても、実際に挑戦してみろと言われたら話しは別です。
 
トレーナーさん曰くは「怖いと思えない時はよく失敗して火傷をする」と言っていました。

それを言い換えると「怖い」と感じれば成功する確立が高くなるということです。

論理的に考えると、恐怖という意識状態を超えたところの変成意識の状態になればそれは可能だというわけです。

まずは恐怖を克服して、火が燃えている道を、氷の道になっているイメージで一気に歩けとコーチングされました。
 
この時にまず最初に挑戦したのは、私をその場所に連れて行ってくれた昔のルームメイトです。

彼は別に火渡りに参加しに来た訳ではなかったのですが、成り行き的に参加する形になってしまい、その他の参加者が恐れをなして口火を切らないので、自発的に最初に挑戦し、一気に歩き始めて勢いで渡り切ってしまいました。

そして彼が二度目に挑戦した時には、何と歩いて行って折り返して火の上を歩いて帰って来たのです! 

片道だけならまだしも、往復でことを成してしまった人がいるわけですから、出来ないわけではないことが実証されてしまったのです。

出来るということを魅せられたら「やっぱり怖いので出来ません」と言えず、その後に私も挑戦して、無事に渡り切ることが出来ました。
 
燃え盛る火の道を目の前にした時には色んなことが頭をよぎりました。

火傷したらどれだけ痛いだろうか? とか、どれだけ熱いのだろうか? とか、渡り切れなかったらどうしようとか、とにかく色んな考えが沸き上がって来て最初の一歩が踏み切れないのです。

しかしそんな私の脳裏とは裏腹に、身体は準備万端と言っているように、足踏みして待っているのです。

トレーナーがそんな私の状況を見て「身体は歩く準備が出来てるよ」と言われて、そこで決心したのです。

身体が出来ると言っているなら、その勢いに乗って終らせてしまえ! と思ったのです。

決心して歩き出すまでは瞬間だったのですが、その時に意識の状態が明確に変わったのは分かりました。

感覚的な体験ですが、後頭部の脳の当たりの何かが半回転して頭頂部に移動するような感じがしたのです。

脳の中の何かのスイッチが入ったような感覚です。

そしたら一気に歩いていて、視線は道の終わりで燃えている松明の炎だけに集中させて、その時から足元の火など消えてしまい、頭の中は向こうで待っている松明の炎だけになったような感じでした。

歩いている間も足の下が火の道だなどとは一切考えず、脳裏では炎の道の変わりに氷の道だと思い込んで大股の早歩きで始め、4~5数秒で渡り終わっていました。

歩いている時は、普通に歩いている時とは全く誓う感触で、何かの上を歩いている感じはしましたが、熱いとは感じませんでした。

感覚的に話してしまうと,どこかでワープしているような感じで、時間という概念と、熱いという概念と、長さという距離が変質してしまった感じだったとも言えます。
 
この火渡りの経験で最も印象的だったのは、直前に味わう恐怖感、そしてそれを超えた時から始まる異常と言えるくらいの集中力です。

とにかく目の前には道の終わりの松明がドカンと大きくクローズアップされたように捉えられていて、足下の風景などスッ飛んでしまっていました。

更には意識の一部が横に外れて、前を向いて目標目指して歩いているのと同時に、それを横から眺めてるようにも感じました。
 
この経験で得た感覚と、サイキック的に変容した意識状態に入る時の感覚は全く同じものだとは言えません。

サイキック的に意識を変容させる場合は、極度の緊張を呼び起こす恐怖という設定がないのと、歩くという動作がないので、意識変容が発現されるまでの方法が違うのです。

しかし意識や感覚の広がりと、圧縮されたような集中力という意味では両者ともほぼ同じだと言えます。

続く・・・


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