マイケル・ジャクソンに始まって、チャーリーズ・エンジェルのファラ・フォーセットまで・・・。
彼女は非常に稀な癌と格闘していたんですね。
チャーリーズ・エンジェルは毎週土曜日には必ず夜遅くまで起きて見ていた番組だったので、ちょっと悲しいかも。
わたしはここ最近の出来事で、死に対する概念が大幅に変わってしまったので、こう言った弔報を目の前にして変な感じです。
悲しいとかを通り越して、安心してしまう私の心境は、少し変かも知れません・・・。
数日前に少し書きましたが、友人のお父さんが亡くなる際に立ち会わせていただきました。
書くと長い話なのですが、忘れてしまうのも難なので、とりあえず書いてみます。
友人のお父さんは、随分と長い間に渡って癌と闘っていたんですが、いよいよ末期になって、もう数日ももたないだろうと、医者もサジをなげてしまったわけです。
前段階として、前年の年末近くから、長くもって2009年の六月半ばくらいだろうと分かっていました。
家族の方は、当然のことながら、お父さんに生き残って欲しいので必死です。
とにかく誰でも良いから、ヒーラーでも祈祷師でも呼んで来て構いませんよ、とお医者さんから言われたそうです。
私は人間掃除機機能で、繋がっている人の身体のコンディションを引っ張る体質なので、それまでの数日間の尿意の少なさと、肺の周辺に感じていた冷たさを疑問に思っていました。
一体だれだろう?
そして亡くなる前日に電話が掛かってきて、とにかく来て欲しいと頼まれて出かけました。
病室に着いたら、シータ・ヒーリングを施術なさる男性がいて、更に別室の教会のある部屋には、別の女性のヒーラーさんが来ていました。
その日の帰り際は風が強く、駐車場の脇で待っていたら、ものスゴイ勢いの一筋の突風が、周辺の落ち葉とか、咲いていたシャワーツリーの花をかっさらうようにして、目の前を通り過ぎて行きました。
個人的には何かご褒美的な感じがして、その突風が、病院の中で私のオーラの中に入り着いていたものを引きはがしてくれた感じです。
たぶんあれは龍神様の姿だと思います。
とりあえずその日は何とか持ち越して、良く朝にどんな様態か電話で聞いたら、夜中に急に様態が悪くなったとのことです。
とりあえず午前中にしていたことがあったので、出来るだけ早く終らせて病院へ。
娘さんに「どう思う? どう感じてる?」と聞くと、「今回は本当に駄目かも」と答えが返って来ました。
その日は丁度、ほぼ新月に差し掛かっていて、さらに夏至のまっただ中。
月のエネルギーは最も薄いし、太陽のエネルギーもピークを超えて加減に入る状態だったわけです。
正直な話し、ご家族には言えませんでしたけど、この時点で、悲しいかな、きっとその日に亡くなるだろうと分かってたんです。
それは、その朝から、私の周りに、嬉しそうというか、軽いというか、喜びを伝える波動が漂っていたからです。
しかも第七チャクラが異常に開いています。
そして第一チャクラも開いていました。
さらには、天女のような方が来て、誰ですか? と聞いたら「如来」だと返って来ます。
如来様まで近くにいたんです。
しかも「私(如来さまのこと)が行くから大丈夫」的な感じが戻ってくるわけです。
近くにいたというか、迎えに来てるというか・・・。
その感覚は、家から出て、病院に行くまでの間も、そして病院の建物の中に入っても同じでした。
集中治療室に入る前に、ナースセンターにいた男性のお医者さんに止められて「もう臨終の際だから驚かないように」と言われました。
部屋に入ったら、言われた通りに、とても文章では書けないくらいの感情的な場面です。
もうすでにお父さんの意識は身体から離れていたので、意識を通じて戻るように話しても、中なか身体に戻ってくれません。
もうこの時点で私の意識は、その部屋にありつつも、別の次元に合わさっていたんです。
目の前で起きている現実が、とても希薄な感じというか、現実感の無い、夢の中にいるような感じです。
目の前のベッドに横になっている身体も、意識が宿ってないので、ただの肉の塊りのように見えるというか、人間に見えないというか・・・。
身体というのは、本当に、意識と魂が離れてしまえば、ただの「洋服」的なものなのだということが分かった気がしました。
私が入室して約5分ほどしてから、娘のボーイフレンドがやって来て、一緒にお父さんの身体に手を当てていたら、非常に低かった心拍数が、一回だけ一気に上昇して、心臓停止です。
いきなりの予想してなかった展開に、脳みそが真っ白になったというか、停止してしまいました。
生まれて始めて、人が亡くなる場面に立ち会いました。
動揺したとか、感情的になったとか、ショックだったとか、自分が一体どんな反応をするのか少し怖い感じもしていましたが、意外なことに、非常に冷静だったんです。
まぁ、自分の家族ではないからと言われればそれまでですが、周囲が感情的になればなるほどに、ドンドンと冷静に、客観的になっていました。
冷静さと客観さが上昇して、私の第七チャクラも全開状態で、自分の意識も別の場所にあったので、色んなものが見えたんです。
初めて臍の尾に繋がっている「シルバーコード」というのを見ました。
本当に細いコードです。
しばらくすると、霊体が身体から少しずつ剥がれだしています。
身体から離れたお父さんの意識を追って行くと、かなり高い位置まで行っているのが分かりました。
そして正座をしたお婆さんの姿が見えて、お婆さんは一生懸命に数珠をこすりながら、神様にお祈りしていました。
しばらくすると、天上の高みに、金色の光りが見え始め、意識がそれを目指してゆきます。
その金色の光りの中に、今まで見たことのない、金白色に輝く男性の神様の、肩から上の姿が現れます。
日本の神様というよりも、中国の土地神様っぽいというか、冠をかぶっていらっしゃいました。
金白色の光りの炎と言う感じで、神々しいというのは、このことだと思いました。
私は家族のみなさんが意識の離れた身体に向かって豪泣きしているのを前にして、椅子に座って天上の光景を眺めていたわけです。
そしたら私が座っていた椅子の後ろに隠れていた、目に見えない4〜5歳の子供の男の子が「もう行っちゃったから大丈夫だよ」と教えてくれます。
この男の子のスピリットは先日も部屋の中に来てて、その時も私の後ろに隠れてました。
目の前では相変わらず感情的な場面が続いていて・・・。
すると、ベッドから少し離れた場所に、白い人影の姿が見え始め、これは一体なんだろう?と思っていたら、「それが霊体だよ」とガイドが教えてくれました。
身体からモヤのようなエネルギーの流れが、その霊体に繋がっていて、少しずつ人間の形になってゆくんです。
それを見ていると、家族が身体を触って揺する度に、形が崩れてゆきます。
どうして形が崩れるの? と聞くと、それは家族が遺体を触っているからだと返って来ました。
「遺体に触っていると、霊体が離れきれないから、触らない方が良いみたいよ」と伝えます。
まず肉体から「霊体」が離れて、その後に「霊体」から「幽体」が離れるんだそうです。
そして「幽体」から魂が離れて、完全に物理次元から移行するそうです。
まぁ死の段階は三段階あるということですね。
しばらく家族の方が遺体に触らない状態で、側に見えていた「霊体」の人形が、結構ハッキリした感じになって、その後は、目の前の感情の嵐に目を捕られていたうちに、その影は消えてしまっていました。
しかし、さらにその奥というか、少し離れた場所に、かなり薄いモヤのような人影が揺れています。
多分それが「幽体」と呼ばれるものなのでしょう。
しばらくしてお父さんの知り合いの年配のハワイアンの男性が来て家族と話を始めて・・・。
彼は自分の隣にお父さんがいて、自分の右手に触っていると言ってましたけど、私には、そこにいる誰か知らないお婆さんの霊にしか見えません(笑)
すると部屋のドアの向こうのナースステーションの方から、縫いぐるみを抱えたブロンドで、お下げ頭の子供のスピリットが様子を伺いに部屋の中に入って来ました。
そんな中で、何故かお父さんの意識のようなものが部屋の中にいるのが分かりました。
起きている感じではなく、半分以上は寝ている感じです。
この段階では、私の第三の目で見える位置も変わっていて、お父さんの立ち位置は、天上ではなく、いつものように、目に見えない精霊とか、神様とか、ご先祖さまが見える場所に見えています。
すると「身体をぬぐいて(身体を拭いて)」とおっしゃいました。
何で? と聞くと、遺体を拭くことで、残り香のように身体に残っている霊体を奇麗に離すことが出来るからだそうです。
ご家族の方が、身体を拭いてあげて、最後に顔を隠すために白いシーツを掛けてあげて。
家族と一緒に病室を出る時は、とても変な感じでした。
まだ自分が幼かった頃は別ですが、今の私は、個人的に目に見えない方々との交流が多い人なので、あまり〔死〕に面することに対しての恐怖が、普通の方よりも極端に少ないのかも知れません。
まぁこれが自分の親だったらどう反応するかは分かりませんけど・・・。
私が思うに、普通の人でも、目に見えない世界との交流が頻繁になったら、〔死〕を受け入れる場面も、今のように感情的にならないのではないかと思いました。
しかし残されたご家族の悲しみは、私の図り切れないものなので、この場をお借りして、お悔やみを申し上げます。
マイケル・ジャクソンも、ファラ・フォーセットさんも。
世界中の人々に夢を与えてくれて、ありがとうございました。
向こうの世界で一休みされてください。
合掌。
次回での解説に勤めさせていただきます。
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