この〝眼に見えない原理〟というアイデアは、例えば、身体を作っている力、見ることや聴くこと、感じることを可能にする力、食べ物を消化して血や肉に換える力などと捉えられています。
そして普通の人には見えない世界を視る、聴こえない音を聴く、感じられないものを感じる力を持っていた少数の人々は、神懸かりな力を持つ半神として扱われたのです。
古代エジプトでその代表的な人物が、人間業を超えた偉大な業績を残し、創造神プタァの息子として神格化されたた賢者イムホテプです。
イムホテプは人間から神格化された人物ですが、神々という存在は、物理的な肉体を持たない、眼に見えない存在です。
そのような曖昧な姿を絵や何かの形として表現しようとした時に、人間の姿に似せて描いたわけです。
神々は自らの姿に似せて人間を創造したと言われますが、人間が神々の姿を自分たちに似せて作り出したのです。
その理由は、人間や動物、植物などしか参考にするものが無かったからです。
そこで古代の宗教芸術家たちは、神々の力を人間の姿とその周囲の中に閉じ込める試みに挑戦しました。
その結果に生まれたのが神々の姿で、その多くは現代人の眼から見ると意味不明な部分やモチーフが多い、神秘的または謎めいた姿となっています。
口を開くことによって世界を作り出し、動植物に命を芽生えさせたプタァ神の基本的な創造の概念は、ハートで感じる、イメージとして思い描く、それらを口に出して表現するという部分で、この原理は自分の望んでいる現実を作り出すための〝引き寄せの法則〟と全く同じものです。
そして、口を開いてアファメーションして現実を引き寄せて作り出すと言っても、多種多様な肉体器官の働きが関係しています。
ハートに繋がるものは感情、感じることで、心臓の鼓動とパルス、体感、神経伝達による筋肉反応、皮膚感覚などに関係し、その中には聴覚、音を聴く力も含まれています。
イメージとして思い描くことに繋がるものは、眼、虹彩、視神経、視床下部、視覚中枢、小脳、頭の中でイメージを作り出す力、今まで見たことがある何かを思い出す力、立体的な奥行きまで捉える力、微細な色彩の幅を作り出せる力などで、視覚は皮膚感覚にも関係するものです。
言葉で表現することに繋がるものは、口、顔の筋肉、顎関節、舌、声帯、喉、気管支、肺、横隔膜、胸筋、言語脳、記憶脳などで、耳で聴いて覚える、話したことを耳で聴く、眼で見た形や映像を覚える、言葉として表現した結果を反応として眼で見るということにも関係しています。
では、これらの多種多様な構造の中で共通しているものは一体なにでしょうか?
その総てを統括するように機能させているのは中枢神経で、それを行わせるのが思考/アイデアです。
思考/アイデアと言葉の理力を表している創造神プタァが、人物として描かれている姿の中には様々なモチーフが混合されています。
青いキャップ、緑色の肌、付け髭、包帯を巻いたミイラを連想させる白くタイトな姿で両足は一本化されています。
そして身体の中心で交差する赤いタスキ、幅広の襟飾りとカウンターウェイト、両手で握っているジェド柱とアンクとワス杖を合体させた長い杖などです。
プタァ神の立ち姿は、その他の神々が右足を前に出している姿とは違って一本化され、両腕も手だけが身体から突き出され、身体そのものが一つの塊として認識されています。
使われている白い色は、純潔さ、純化、透明な、清潔な、浄化された、そしてその他の色彩の土台・基礎などの意味を持っています。
肌に使われている緑色は、七つのスペクトラムと七つのチャクラ、そして氣の三宝の色では基本的に感情に関係する色で、色彩的にも周波数的にも中間点であり、安定、バランス、充填などを意味しています。
古代エジプトの神々の姿は神格によって表され方が違っています。
頭と身体は決して同じ延長線上のものではなく、頭は頭部に関係する内容を表し、身体は首から下に関する事柄を表しています。
頭のヴァリエーションは人間の頭の表現に近いものから、動物や鳥、または蛇、そして想像上の生き物的なもので表され、頭の付属品として様々な冠が付け加えられています。
頭の種類が多種多様なのに対して身体の方は種類が少なく、その基本は男性と女性という人間の身体を模したもの、その発展形で白いミイラのような身体、動物、鳥、蛇などです。
身体に関する表現は、肉体の領域に関係する内容で、その中に装飾品が加えられ、身体+付属品で肉体という枠を表しています。
そして装飾品などの付属品の基本は、付け髭、幅広の襟飾り、カウンターウェイト、ベルト、腰巻き、タスキ、杖、アンクなどのシンボルなどです。
一人の神様が一つの要素だけを持っているわけではなく、神格の中に多種多彩な働きがあるために、様々なパーツ(部品)を付け替えて表現するというアイデアが生まれています。
着せ替え人形的に表すことで、一人の神様が司る全体的な理力を表現しているのです。
プタァ神の頭はその他の男性の神々とは違う、プタァ神のトレードマーク的な青いキャプを冠っています。
この青いキャップを冠って表されるのはプタァ神とその息子のコンス神です。
ブルーとヴァイオレットが混色されて現れるインディゴブルーは、第三の眼に関係する第6チャクラと、頭の機能を司る神(しん)の氣を表す色彩です。
基本的に青系の色彩は鎮静、直感と認識、そして第三の眼の開花を助け、自分自身を省みたり、瞑想する時に深い集中の状態へと引き上げ、奥深い意識の段階へと導く色です。
そして叡智の神秘的な境界線と、自己到達、スピリチュアルな現実の認識を引きつけパラノーマルなサイキック能力の発達を促します。
プタァ神の頭の青さはインデイゴブルーという色と頭の関係を明確に示唆しています。そして、その他の複雑な構図で表される神々の冠とは違い、とてもシンプルなものです。
このツルツルのヘルメットような形は、頭の状態がスムーズであると同時に脳の機能を最も理想的な状態へ引き上げる色彩の周波数であることを表しています。
そして鎮静化を促す色はモルヒネの6倍の力をもつ脳内物質、エンドルフィンの分泌と広がりも示唆しています。
このようなプタァ神の理力は、頭から付け髭を通して首へと移動し、襟元に加えられている幅広の襟飾りの表現を通じて胸元と両肩という胴体の上部へ広がる姿で表現されています。
そして襟飾りの外円の表現は金色の涙の雫型の羅列で、神々の肉体の雫がちょうど胸腺と心臓の周辺へと落ちていることを伝えています。
首から両肩という部位への広がりを示唆している襟飾りの表現の中で興味深いのは、カウンターウェイトの有無です。
カウンターウェイトは襟飾りの本体の重さとのバランスをとるためのもので、その形はロータスの蕾です。
プタァ神の首の後ろには金色のカウンターウェイトが描かれていますが、その他の神々も同じように幅広の襟飾りをしているのにカウンターウェイトは描かれていません。
そしてカウンターウェイトの装着のされ方は、垂れ下がっているというよりも、フックのように引っ掛けられ、そして下がっています。
写実性という観点では、カウンターウェイトと襟飾りを綱いている紐が真っ直ぐに垂れ下がらずに、フックのように表されているのは不自然なのです。
カウンターウェイトと同じように物が垂れ下がる表現はステラや彫金の品々の中でも表されていますが、普通に垂れ下がった状態で描かれ、フックされてはいません。
この少し不自然な表現は意図的なものだということです。
金金色のカウンターウェイトは、蕾から花へ開くための理力を象徴するロータスの蕾が神の肉体の延長線上であることを示唆し、それが神の身体と同じ性質でできている金色のパイプを通じて背骨の上部に入り、襟飾りの中へ挿入されて下半身へ向けて降り始めることに繋がっています。
プタァ神は一般的に立ち姿で描かれることが多いのですが、中には玉座に座った姿で描かれているものもあります。
そして座った姿勢でのプタァ神の描かれ方の中で最も興味深いのが、持っている杖の表され方です。
立像の場合は真っ直ぐな杖なのですが、座像の場合は、座っている姿勢に沿って杖も座った形で表されています。
もしこの杖が一本の固い棒として理解されていたのであれば、杖は真っ直ぐに立っている状態で描かれているはずなのです。
しかし座像と同じような形態で表されていることから、この杖は真っ直ぐで固い棒ではないもの、座った姿勢に沿うことが出来る柔軟性の高い何かを現しているのです。
そして杖の頂点は身長よりも少し低い高さ、頭の中心部から足裏までというかなり長いものを表しています。
その他の神々は杖を右手にもっている場合が多いのですが、プタァ神の場合は片手ではなく両手で握られ、立像では身体の中心に引き寄せる姿で統一されています。
そして彼の杖の配色は、その他の神々は単色で表されることが多いのに対して、金色とインディゴブルーのストライプが使われています。
ネメス帽でもストライプのパターンが同じ配色で表されるのがですが、この組み合わせは、二種類の理力の流れを表したものです。
プタァ神の杖の棒は、神の肉体を成している金と、濃紺が表す理力の二種類が上下しているということを示唆しています。
このプタァ神の杖の構造は、三つの違ったシンボル、アンク、ジェド柱、ワス杖が合体しているもので、それらは杖の頭で一つにされています。
ジェド柱は安定性や持久力を象徴し、オシリスの背骨と呼ばれるので、背骨に関係するものです。
アンクはループと十字、そして結い目で生命力を表します。
ワス杖はその長い杖状とジェド柱との同化から背骨に関係するものだと理解できます。
そしてワス杖の頭部は、鳥でも動物でも爬虫類でもない縦長の頭に、長く尖った耳と細長い眼、ワニのように突き出した口と歯で表現されています。
ワス杖の頭部には、見る、聴く、話す、食べる/味わうという人間の基本的な要素が加えられているということです。
プタァ神が両手で握っている三つの理力を合体させた身長に近いほど長い杖は、身体の中で中心にあり、頭の中心から足まで伸びているものを表しているのです。
身体の中に存在するものを外に出して握った状態で表されているのは、プタァ神が人間の身体そのものを表しているのではなく、身体に関係する要素または理力なだけで、杖で表現されている部位に、プタァ神の姿が象徴しているフォース(理力)が与えられるということです。
プタァ神の根本的な理力は、ハートで考え、頭の中で思い描いたイメージを言葉で表現することで世界の様々なものを創造させることを可能にするものです。
そして、この創造の理力は、プタァ神そのものを表す全体の姿を通じて表されています。
口を開くことによって現実化を導くのがプタァ神の理力です。
それはハート=緑と、思考=濃紺の力は、神々の雫=金色と交わって身体の中央で交差され、背骨の中に走っている中枢神経ハイウェイを上下することを繰り返します。
そして脳の中枢であると同時に、見る、聴く、話す、味わう、感じるという総ての感覚に繋がっている視床下部へ届けられるという行程をプタァ神の全身が表しているのです。
アファメーション=口を開いて言葉を話すという行為が私たちの遺伝子に影響を与えるという研究結果は、人間の肉体は、言葉=波動と周波数を介した指示で変容することが可能だということを教えています。
それを達成させるためには、遺伝子が理解できる言葉の状態、正しい振動と周波数で言葉を話す必要があります。
そして、その秘密を解く鍵を持っているのが、奇怪な形の道具を使って行われる口開きの儀式の中で表される動作です。
口開きの儀式は、口を開いて言葉=呪文を投げかけるだけではありません。
イメージの力が使われた〝動作〟を通じて、肉体の様々な部位にも働きかけていたのです。
儀式に使用される不思議な形をした様々な道具の形は、波動+周波数が投げ掛けられる部位の構造を表しています。
道具の形で波動+周波数が頭の中で行われるプロジェクション(投影)を通じて定められた焦点へと転写されるということです。
口開きの儀式を通じて開かれる主な部位は、口だけではなく、もっと広範囲なものです。
それは口から頭の中心、そして背骨の中を走る中枢神経に関係する部位で、頭の中心に位置する視床下部から伸びている中枢神経とそれに関連する部位の情報を組み替えることを目的としています。
これに関係するのがクンダリーニの目覚めで、その土台になるのがスシュムナー管の開通です。
スピリチュアルな技術を通じてスシュムナー管の口を開き、その回路を完全に開くことによってクンダリーニは危険なく上昇を始めます。
そしてシュシュムナー管とクンダリーニの目覚めが進行していく段階の中で、それと同時に現れ始めるのが、マニフェステーション、現実のものとして出現させる能力、プタァ神の理力である〝創造する力〟です。
プタァ神の口開きの儀式の本質は、現実を創造するための技術を獲得する方法を教えているのです。
黄金ファラオの秘儀が目指していたものは、王を星々の世界へと到達させることです。
そしてこの儀式は王や神々の像や神殿、神社に入魂させたり、ファラオが死んでミイラ化され、埋葬される時だけではなく、生前にもファラオをアセンションさせるために行われていたはずです。
古代エジプトや古代ギリシャを含めた世界中の古代文明の政治は、基本的にオラクル(神託)によって采配されていました。
地上の王として君臨するファラオの役目は、天界に住む神々からの神託と、眼に見えない交流によって自然のバランスを保ち、古代エジプトの世界を安定させ、繁栄へ導くことでした。
このような背景が教えているのは、古代エジプトの宗教的な儀式の中には、ファラオを星の世界に住む神々と繋がらせるスピリチュアルな技術があったことを示唆しています。
さもなければ、死者の書に描かれているような、来世への旅を通じて星々の世界へとアセンションさせる道筋などが描かれるはずはありません。
ピラミッド文書から始まって死者の書へと進化する葬祭文書は、死後の世界観を表したものだと解釈されていますが、それらは一体どうして現れたのか?
一体どこから生まれたのか? という疑問を沸き上がらせます。
明確に表された死後の世界=地上の世界とは全く別次元の認識は、ただの想像の産物なのでしょうか?
仏教の始祖ゴータマシダルタは、菩提樹の下で悟りを開き、天上に存在する幾つもの世界へ到達して地上に戻り、生まれ変わり=輪廻転生と、死後の世界を体系化した聖者として崇められています。
釈迦の息子は、肉体的な死を迎える前に、死後の世界へ到達して叡智を授かり、再び地上へ戻って来たということです。
そして釈迦族の基盤はバラモン教で、その世界観は古代エジプトと同じものです。
輪廻転生と神々の世界への旅という共通性は、生きている間にそこへ到達することを達成していた人々がいた、そして、それを達成させるための秘儀が存在していたことを示唆しています。
古代エジプトの死後と来世の世界観は、元々は生きている人が星々の世界へアセンションし、旅して戻ってきたことから生まれているということです。
続く
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「ホルスの錬金術 黄金ファラオの秘宝」の前編になるのが「聖なる谷 空中都市マチュピチュを超えて」で、こちらの方は1991年に出かけたインカ帝国の遺跡を巡る旅の中での神秘体験やUFO目撃を綴った旅行記です。
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