ツタンカーメン王の埋葬品
ファラオの黄金時代をまとめたセクションから、黄金ファライの発掘品のセクションへと移動する間にあった巨大なディスプレイには、ツタンカーメンの黄金のシュライン(寺院)の側面に刻み込まれているイメージから抜粋されていました。
この黄金のシュラインには死者の書と関係する興味深いイメージが一面に描かれているのですが、残念ながら今回の展示会には含まれていませんでした。
1992年に発見されたツタンカーメン王の墓に納められていた品々は、詳細に一つずつ番号がつけられて写真が撮られてカタログされ、発見から総ての品々が墓の中から取り出されてカイロ博物館に収まるるまでに八年の歳月がかかっています。
短い階段の回廊から始まる墓の中には「控えの間」「玄室/埋葬室」「宝庫/財宝置き場」「別館」の四つの部屋があります。
・控えの間
葬祭用の寝台、女神タワレトを表すカバや、ライオン(レオパルド)、女神ハトホルを表す牛の形をしたプレート、旅行用の抱え棒がついた箱、子供用の椅子、約130個もの杖、象牙の小箱、カルトゥーシュ型の三つの箱、三つの儀式用の寝台はライオンの頭、太陽のディスクを挟んだ角の牛、アンムトがモチーフにされています。
四台の二輪車、儀式用のコルセット、黄金の玉座、金箔が貼られた小さな寺院、カルサイト製の大壺、などの約700点が発見され、その多くには金が使われています。
・玄室/埋葬室
壁が装飾されていた唯一の部屋で、北壁にはツタンカーメンが彼のカー(生命力)に付き添われてオシリス神に迎えられる場面と、ミイラの口を開く儀式、女神ヌト並ぶツタンカーメン、西壁はアムドゥアトの最初の一時間、東壁は死者の書からの一つの呪文、南壁にはアヌビス、イシス、ハトホルなどの神々が描かれています。
王のサルコファガスが納められていた部屋で、青地に金泊のティエトとジェド柱が二づつ並んでいるパターンが繰り返された、5.08mX3.28mX2.75mもある巨大な長方形の寺院でほぼ占領され、前後の隙間は60㎝、両脇は30㎝ほどしか空いてなかったそうです。
寺院の外には太陽の船のための11個のパドル、薫りの容器、ハピ神のイメージが彫られたランプが置かれていました。
二番目に大きな寺院の中に三番目に大きな寺院が収められていました。
その中に四番目で最後の寺院があり、大きさは2.90mX1.48m。
四面には王の葬式の場面、天井には女神ヌトが描かれ、広げた翼で五番目の箱に当たる王のサルコファガス/石棺を祝福しています。
石棺はグラナイト(花崗岩)製で、四つの角には四人の守護女神、ネフティス、イシス、セルケト、ネイスが表され、本体と蓋は別の色が使われていることから、別の持ち主のために造られたものだと解説されています。
棺は三段階で、大棺と中棺は金箔を貼った木製、小棺は110.4㎏の純金で造られています。
その中に黄金のマスクをつけたミイラが、ハートスカラベを中心にクロスした王笏と殻竿を握った手、人間の頭をした翼を広げた鳥の形のペクトラル、金と宝石が使われた締め帯びをした状態で横たわっていました。
王のミイラの周辺で発見された品々は数多く、ミイラの襟は幅広の襟飾りで飾られ、包帯の下からは金版で造られた三つの大きな襟飾りとアミュレットの数々、右手にはスカラベのトリプル指輪、儀式用の黄金の短剣、ホルスのペンダント、ウジャトの眼のペンダント、三体のスカラベのネックレス、金とターコイズのブレスレット、黄金のサンダルと手指と足指のカバー、ウラエウスと禿鷲のモチーフが使われた黄金の王冠などが一緒に納められていました。
その他にも、カルサイト製の大きなランプ、銀と木製のトランペット、アヌビスの紋章が入った高さ167㎝のオブジェ、ライオンの蓋がついたカルサイト製の化粧壺、二つの大扇なども見つかっています。
合計で5つの箱形の寺院に、三つの棺が収められ、その中にミイラが安置されていたわけですが、5つの箱は葬祭具を制作し、儀式を行う神官達は空間を5つとして認識していたことを示唆しています。
この重層な寺院の数々は、5つの次元、または見えないオーラの層を表したものです。
そして三つの棺はアクシオトーナル層、エセリックダブル層、エーテル層という、肉体/ミイラと重なる三つのエネルギー体を表し、各々の棺の模様は、層内の波動/エネルギーの動きと流れを表したものです。
・宝庫/財宝置き場
約5000点以上の財宝が発見され、その殆どは葬祭と儀式に関係する品々です。
四つの臓器を納めた黄金の小棺が入っていた四つのカノプス壺を納めたカルサイト製の棺と、更にそれを納めた四人の女神が守る金箔が貼られた木像の棺をはじめ、ジャッカルの姿をしたアヌビスが乗った寺院の中からは、金と象眼の四つのペクトラルが納められ、スカラベのペンダント、戴冠式を表すペクトラル、太陽の船に乗ったスカラベのペクトラルなどを含めた多くの壮麗で豪華な宝飾品が続きます。
金箔が貼られた多くの神々と王の木像が納められた寺院の数々、船の模型、二台の二輪車、数えきれない程の数の宝飾品、儀式用具、神々の像や財宝、そして413体のシャブティ像が収められていました。
これらの財宝に混じって、死産だった王の二人の娘の棺とミイラもこの部屋で発見されています。
・別館
元々はオイルや軟膏、香水、食料、ワインなどが置かれる部屋で、280のグループに別けられた、合計で2000個以上の小さな品々が発見されています。
玄室の中で発券された二つの大扇の一つで、三番目と四番目の寺院の間に置かれていたものです。
暑く陽射しの強いエジプトの気候とハエが飛び回る環境の中で欠かすことが出来なかった扇は呼吸から生まれる命の象徴で、生前だけでなく、死後にも重要な役割を果たすと考えられています。
王の扇持ちの地位は儀式と官僚に関係するために重要な存在として位置づけられていました。
棒の先の金具の部分はパピルスの花を形どったもので、その上部に刻まれている三つのヒエログリフは〝ネフェル 善性 完璧さ〟〝ヘカ 統治〟〝アンク 生命〟です。
その上につけられたダチョウの羽が射込まれる半円形のパネルから上はパルムを表し、使われた数の合計は41羽です。
縦縞のパターンで構成された枠が表しているのは、区切り、空間または位置、ひとつの場面、一つのテーマなどです。
カルトゥーシュ内は王の誕生名である〝ネブケペルレ〟と〝トゥタンカムン それぞれに〟と刻まれています。
その横には王権を表すシェンとワス杖、両脇に上部と下部エジプトを表す冠を乗せた禿鷲の女神ネクベト/女神ムトが翼を広げて祝福しています。
そして禿鷲とカルトューシュが乗っているヒエログリフは金を意味しています。
白い禿鷲の女神ネクベト
ネクベトという言葉は〝究極的な〟という意味です。古都ネクヘブ(現在のエルカブ)の呼び名でもあり、ネクヘブはヒエラコンポリスと共に上部エジプトの二つの首都でした。
前王朝時代で宗教と政治の首都だったネクヘンと付き添う古都ネクヘブは、元々の死者の街、ネクロポリスで、古代エジプト史で最も古い〝神託の寺院〟が現れた場所で、ネクベトの女神官たちは〝ムウ muu 母たち〟と呼ばれ、エジプトの禿鷲の羽で作られたローブを着ていました。
女神ネクベト、女神ムトの具現化した姿である白い禿鷲が象徴するのは〝浄化/精製〟で、禿鷲の形をしたヒエログリフは、繁栄、母、祖母、統治者という意味を表します。
総ての古代エジプトが統一された時に前王朝時代では古都ベネクトの地元の女神の位置から、上部エジプトを守る女神へと格上げされ、後にはエジプト全域が統一された時には、総てのエジプトを加護するパトロンとなっています。
女神ネクベトは頻繁に王の額に姉妹の女神ウジェト/ウラエウスと一緒に表され、この二人は〝トゥーレイディ 二人の淑女〟と呼ばれます。
一般的には大きな翼を広げ、足の爪で永遠を象徴するシェン・リングを掴み、王の頭上に飛んでいる状態で多く表現され、多くのペクトラルのモチーフとしても使われています。
その姿の幾つかはエジプト下部の女神ウアジェドから派生したコブラの姿で描かれています。
古代エジプト人は白い禿鷲は雌しか存在せず、雄も雌と捉えて、雌は空と交わって繁殖すると考えられていたと解説されています。
ケプリ神のスカラベは精子を糞に入れて繁殖すると解釈されていたのと同じ捉え方ですから、女神ネクベトの化身である白い禿鷲が風と交わって繁殖するというのは、別の何かの比喩であり、暗喩として神話の中に組み込まれていると考えることが出来ます。
続く
「ホルスの錬金術 黄金ファラオの秘宝」の前編になるのが「聖なる谷 空中都市マチュピチュを超えて」で、こちらの方は1991年に出かけたインカ帝国の遺跡を巡る旅の中での神秘体験やUFO目撃を綴った旅行記です。
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