その鍵を握っている〝太陽の再生〟は〝未来永劫の来世へ転生して神々に迎え入れられ、神として存在し続ける〟ことへ直接的に繋がっています。
〝太陽そのものが転生のシンボル〟なのです。
ファラオ達は王の地位に就いた時から、自らの死の先に待ち構えている〝来世〟へと問題なく転生するために、代々の王家の人々が眠る死者の谷の地中の奥深くまで墓を彫り始め、そこから遠くない場所に自身を奉る葬祭殿を建立し始めています。
執着にも似ている物理的な死を通じた来世へ転生するための準備は、統治者として人々 の上に君臨しエジプトの大地を治めるという実質的な務めよりも、遥かに重みを持っていたように見えます。
ファラオ達の死後の世界観は、死ぬ恐怖 というよりも、死ぬことによって神々の祝福を受け、来世で永遠の命を授かれるというものです。
人間として生きているファラオは普通の人々と同じように限り ある命の枠の中に存在していました。
神々の子孫であり、生き神様として崇められても、死から逃れることは出来なかったのです。
多くの人々にとって〝死〟とい うものほど曖昧で、得体が知れず、うまく呑み込めない、良く理解することが出来なものは他にないでしょう。
それは生まれてから自分が死ぬまで、予行練習として死を体験することがないからです。
人間は歳をとると死んで肉体は朽ちるのだと解り始めると、死とは一体どういうものなのかを考え始め、それと同時 に生の意味を振り返り始めます。
ファラオと一般人の格差は、神々の一族かどうかによって完全に隔てられていました。
神々の血筋を受け継いでいる 人々は王族としての位置を確保していますが、そうではない高官は、ファラオに認められたり、政略結婚などを繰り返すことによって可能な限り自分の地位を ファラオに近づけようとしています。
ファラオそのものが宗教的な儀式の中心だったので、彼を取り囲む王女や世継ぎの子供達は神々と繋がる儀式、 そして死んだ後に来世で神々の一員として迎えられる位置にいたと言っても過言ではありません。
しかし、宗教職に就いていないその他の人々は神々から隔てられてい た位置にありました。
古王国時代では死後に来世で生まれ変わることが出来るのはファラオだけでしたが、後に高官なども葬祭の儀式を通じて来世の命を授かれるようになります。
そして後の新王国時代には一般の人びとにも死後の生まれ変わりの世界観が広がっていきます。
しかしファラオにとっても一般の人々にとっても、死んだら自動的に来世生まれ変わり、永遠の存在として生き続けることが出来たわけではありません。
神々から永遠の命を授かるための最初のステップは、葬祭の儀式のための準備を始めることです。
しかし葬祭のプロである神官達による儀式が済めば完了するものでもありませんでした。
死者の書の中では死後に到着する地下世界を旅して、その行程の中で様々な事柄を乗り越て行く姿と、その方法=対処法が描かれています。
地上の世界では様々な神々の恩恵を受けることが重要だったように、黄泉の世界でも同じように様々な神様の祝福を受け、審判を通り抜けなければならなかったのです。
そして、黄泉の世界の旅の中で最も重要な位置に置かれているのが、冥界と審判の神オシリスです。
エジプト語での呼び名はアサル Asar 、アサリ Asari 、アセル Aser 、アウサル Ausar アウシル Ausir 、ウェシル Wesir 、ウシル Usir 、ウシレ Usire、そしてアウサレ Ausare と多くのヴァリエーションがあります。
これらのオシリス神の呼び名の数々の言葉の響きは〝アシュタール〟を連想させます。
アシュタールはカナン神話のの中に登場するアッタル神の別名で、夜明けの金星で表される曙の神です。
オシリス神は王を死後の世界での偉大な統治者に変容させる神として崇められていました。
一般的に死後の地下世界と死の神と理解され、死、復活、肥沃さに関係する神様です。
ファラオのミイラが置かれ、死者の魂が地下世界へと旅を始める霊安室の超自然的な力と、神々による最後の審判に関する究極的な源となって いる存在で、ファラオの王権と、王の死から始まる〝来世への生まれ変わり〟の本質です。
伝統的に生まれ変わりを意味する緑色の肌とファラオの髭 をつけ、足は包帯を巻いたように一本化され、ホワイトクラウンの両側にダチョウの羽があしらわれているアテフクラウンを冠り、ヘカ(王笏)と三つの殻が下 がっているネクハクハ(殻竿)を持った姿で描かれます。
王笏を持っていることから導きの神ともされています。ダチョウの羽は時によって羊の角に代わること もあります。
オシリスは霊安室の神であるソカー神と彼に関係する創造神プタァにも関連しています。
〝ネクハクハ〟は力と権威を表している。エジプト下部の9番目のノウムを守るアンジェティ神に関係すると考えれています。
アンジェティは前王朝時代に遡る最も古い神さまでオシリスの先駆者です。
オシリスはヘリオポリスのエンアドでは、大地の神ゲブと空の女神ヌトの息子で、イシス、ネフィティス、セトの兄弟として生まれます。
冥界の神オシリスと女神イシスの息子として誕生したのが天空神ホルスです。
古代エジプト人は祝福された故人のことを生きた人と考慮したことから、オシリスは死の神と真反対の生の神と呼ばれることもあります。
オシリスの存在が現れるのは古王国時代の第5王朝の終わりで、それ以前から信仰されていたと考えられています。
オシリス神話の殆どの情報はピラミッド文書の中からで、亡くなった王はオシリスとして捉えられ、彼の次の後継者はホルスと捉えられていました。
後にファラオが宿命として辿る二つの到着地点としてお互いにバランスをとるようになります。
新王国時代のシャバカ石の中でホルスとセトの戦いが記され、さらに後になるとギリシャの著述者プルタークやディオドロスによる語り口調による物語が登場します。
オシリス神話
古代エジプト神話の中でも重要な位置にあったのがオシリスに関する神話で、〝死後に生まれ変わって来世で永遠の命を授かる〟という観念に基づいた宗教観は多くの人々に絶大な影響を与えています。
偉大な神ラーと妻のヌトの間に生まれたゲブは、母親のヌトと恋に落ち、それを知ったラー神は激怒し、360日の間に渡って子供を産むことを禁止します。
嘆き悲しんだヌトは友達のトート神に助けを求めました。
トートはラー神の呪いは成就しなければいけないと知っていましたが解決策を思いつきます。
トートは水の中にいる月の女神サイレネに近づきました。
サイレネは月の光りで、太陽の光りであるラー神のライバルに値する存在です。
トートはサイレネから七分の一の月の光りを分け与えられ、その光りを暦に付け加えて、一年を360日から365日に変えてしまいました。
ヌトはこの五日間の初日にオシリスを産み、二日目にホルスを生みました。
別の神話はその続きとして語られ、オシリスは偉大な王として成長し、人間に文明を築かせ、農作と動物の交配、神々を讃えて信仰する法則を教えます。
エジプトは優しいオシリス王の統治の元で偉大な国へと成長し、彼はその他の国々へ文明を伝えるために、妻のイシスにエジプトの統治を任せて旅に出ました。
彼女はオシリスが行ったようにエジプトを率いますが、オシリスの弟のセトが彼らを嫉妬していたのです。
セトは王位を奪うための方法を探し始め、エチオピアの女王と、73人の共謀者を集め出しました。
しかしオシリスを殺してもイシスが統治している間は何も出来ないので、その両方を叶える陰謀を企みます。
オシリスが旅から帰って来ると、セトは隠れてオシリスの身体のサイズを測らせ、その大きさに合った豪華な棺を造らせました。
そしてオシリスと73人の共謀者達を招いて宴会を開き、その終わりに「この棺の中にピッタリと入る事が出来た人に贈り物として贈呈する」と発表します。
共謀者達は変わり代わりに棺の中に入りますがサイスが合うことはなく、オシリスの番が来て彼がピッタリと棺の中に入ってしまうと、セトと共謀者達は蓋をしてオシリスを棺の中に綴じ込め、釘を打ってから溶かしてあった鉛を棺の上から流してしまいました。
そして彼らはオシリスの棺をナイル川に投げ込んだのです。
この出来事の話しを聴いたイシスは嘆き悲しみながら夫の遺体を探し始めます。
正当な葬式を行わなければ安らかな眠りにつく事が出来ないと妻は知っていたからです。
イシスは随分と長く探し続けましたが遺体を発見することは難しく、たまたまナイルの岸辺で遊んでいた子供に聴いたら、セトと共謀者達が棺を投げ出した場所を教えてくれました。
そこから更に調べて行くと、棺は海まで流れて行き、地中海沿岸のフェニキア人の都市ビブロスの海辺に打ち上げられて、タマリスク(御柳 ギョリュウ)の木の土台になっていることが解りました。
呪いの魔術によってタマリスクは立派で壮大な樹に成長し、棺は幹の中に取り込まれてしまったのです。
そしてタマリンドの巨木に惚れたビブロスの王は、樹を切り倒して宮殿の屋根を支える柱にしてしまいます。
イシスは夫の遺体を見つけにピブロスまで旅をし、到着すると噴水の脇に座ってビブロス女王に遣える処女たちと話しました。
イシスは彼女たちの髪の毛を編んであけ、最も香りの高い花々の香水を吹きかけてあげました。
女王の処女たちが宮殿に戻ると、彼女たちが身につけていた素晴らしい香水の薫りを察した女王が一体どこで手に入れたのかを尋ね、出会った美しい女性のことを話します。
女王はその女性を宮殿に連れて来るように言い、イシスは女王からもてなされ、若い王女の世話をすることを頼まれます。
イシスは王女に自分の指を吸わせました。
そして毎日夜になって宮殿が眠りに入ると薪を積んで火をつけ、王女を炎へと押しつけ、そしてイシスは死んだ夫のことを嘆き悲しみました。
その不気味な話しが女王の耳に入り、信じられなかった女王は自分の眼で確かめることにしました。
夜になり女王は事の成り行きを見るために隠れているとイシスが薪を燃やし始め、自分の娘を炎の中に押し入れるのを目撃すると、悲鳴を上げながら急いで娘を助けに行きました。
イシスは娘を助けようとする女王に襲いかかり、女王を厳しく非難し、魔法を使って子供を鍛えて神様にしようとしていたと説明しました。
イシスは自分の本当の地位を明らかにして、ビブロスまで来た本当の理由、死んだ夫の遺体が取り込まれてた柱のことを話し、女王は彼女の望みを叶えてあげました。
柱は取り下ろされて開かれ、その中から棺が現れました。イシスは棺を持ってエジプトへ帰り、残された偉大な柱は人々に信仰されるようになります。
イシスは棺をエジプトのアレキサンドリアの東の古都ブト(現在のテルエル・ファレイン)へ持ち帰り、姉妹であるフェフィティスと一緒に棺を開くと死んだ夫の上で嘆き悲しみ、ネフィティスは凧の姿になって棺の上を舞いながら悲しげな歌声を響かせました。
そしてイシスは夫を蘇らせることを決意すると、それまで隠しておこうと沼の中に沈めました。
しかし夜間に猟をしていたセトが沼に入ってオシリスの棺につまづいてしまい、棺を発見してしまったのです。
怒り狂った彼はオシリスの身体をバラバラにもぎ取ってしまい、14個になったオシリスの部位をエジプト中に撒き散らしてしまいました。
それを知ったイシスはパピルスの葦で造られた船に乗ってナイル川に乗り出して探し始めます。
女神を乗せたパピリスの船はワニさえも恐れさせたので襲われることはなかったそうです。
イシスはネフィティスと一緒にエジプトの13カ所の土地にオシリスの残骸を見つけますが、性器だけは発見することが出来ませんでした。
そしてイシスは夫を復活させる決心をして、見つからなかった性器の部位を魔法を使って金で作り、12日間をかけて繋ぎ合わせます。
それから偉大な魔法とヒーリングの力を持つトート神、葬式と防腐処理の神アヌビスの力を借り、父親で大地の神であるゲブから学んだ呪文を唱えて一時的にオシリスを復活させました。
イシスは蘇った彼の子供を受精しますが、魔法の効力は一時的なものでオシリスは再び息を引き取ってしまいました。
そして子供を身籠ったイシスは一ヶ月後にハルオオクラテス(ホルス)を早産し、未熟児の子供を守りながら育て始めます。
夫の残骸の複製を造ると、見つかったそれぞれの場所に埋めて、その上に神殿を建てます。
子供は成人するとホルスと呼ばれ、イシスの死んだ夫に対する献身が神々の心に届いて、神々はオシリスは冥界の王として蘇えらせます。
ある日、オシリスが地上のホルスの前に現れて、セトの誤った企みに対して仇討ちをし、王位を取り戻すように説得しました。
ホルスはセトの居場所を突き止めて二人の間に善と悪を代表した壮大な戦いが繰り広げられ、ある時はホルスが勝ち、次はセトが勝利をおさめるという交代劇が続きますが、最終的にホルスがセトを打ち負かし、オシリスは世界の統治者として再臨できるようになりました。
オシリス神話の筋書きは時代によって詳細が変化します。
イシスが見つけたオシリスの部位の数は神殿の壁に書かれている内容によって違い、14個または16個で、オシリスを信仰する人々はエジプトのノウムに一つずつで、それらの場所を巡礼する習慣が生まれました。
オシリスの名前が最初に登場するのは初期王朝時代の第一王朝で三代目のファラオだったジェル王の墓で、後にオシリスの墓と見なされています。
後の古王国時代のピラミッド文書では、オシリスの復活、ホルスとセトの争いが記述されていますが、明確な物語ではなく、その中でセトがオシリスを殺したことは言及されていません。
ピラミッド文書の内容が来世への転生というテーマなことから、オシリス神話はここに結びつけらるのですが、オシリスが溺死してイシスに発見される、セトがオシリスの殺人者になるのは中間王国時代からです。
これは古王国から中間王国時代の間でピラミッド文書に記されていた内容が、物語的な神話の形態、神々を人間的な観点から捉えた物語へと変化していることを教えています。
そして新王国時代にはオシリスの身体が14個に切り離されるエピソードが挿入されます。
冥界の統治者を奉る主な儀式センターは古都アビドスで、セトによって切り離されたオシリスの頭がイシスによって埋められた場所で、古王国時代の終わりから巡礼の場所の中でも重要な場所となっています。
この街でオシリスを祀るフェスティバルが毎年開催されていました。
ノウムの紋章は彼の頭でアテフクラウンを冠っています。
アビドスの次に知られてる場所はオシリスの背骨に関係しているブシリス Busiris です。
オシリス神の儀式は新王国時代からプトレマイオス王朝までに建設された神殿の壁に刻まれ、オシリス神話の情報源にもなっています。
後にオシリス神の祭司団はグレコ・ローマン時代には、国際的にミステリアスな宗教へ変容しています。
イシスという呼び名は古代ギリシャ語で、元々のエジプト語での発音はアセトまたはイセトで、英語圏ではアイシスと呼ばれ、エジプトよりもグレコローマン圏で広く信仰されていた女神です。
名前の意味はファラオにとっての力を象徴する〝玉座〟です。
擬人化された女神は頭の上に縦型の玉座を乗せて赤い鉢巻きをし、右手に花のついた杖と、左手にアンクを持った姿で描かれます。
また子供の姿のファラオがイシスによって与えられた王座に座っている場面も頻繁に描かれています。
イシスの名前が最初に現れるのは古王国時代の第五王朝で、名前と玉座が結びついています。
葬祭に関係する存在でピラミッド文書の中には彼女の名前が8回現れます。
彼女の両親はオシリス神を生んだ大地の神ゲブと空の女神ヌトで、トート神によって360日に追加された5日間の四日目に誕生し、兄にあたるオシリスと結びついて戦と保護神であるホルスを誕生させます。
その他にもホルスの四つの魂の母親でもあり、その中の一人である肝臓の神イムセティの守り手でもあります。
理想的な妻と母親として描かれ、自然と魔法、奴隷と罪人や、踏みにじられた人々、職人、の保護者、そして初な少女から貴族と統治者の祈りを聞き入れてくれます。
死者の書の中でのイシスの役割は、死者を守る女神と位置づけられています。
イシスを祀った最も初期の神殿はエジプト上部のフィラエ島で、重要な儀式センターのはデルタ地域のベヘベイト・エルハガルの寺院でした。
永遠の生命を象徴するアンクが変形した形で、イシスの結び目、イシスのバックル、または、イシスの血とも呼ばれます。
ティエトのアミュレットは赤い木、赤い石、赤いガラスで造られています。
アンクの十字を形づくる横棒が蝶蝶結びで結ばれたように垂れ下がっている ことから、永遠の命、または〝復活〟を意味すると解釈されています。
オシリス神を表す要素は、緑色の顔と白いミイラのような装い、エジプト上部を表すホワイトクラウンに羽が備わっているアテフクラウンに、偽髭、〝ヘカ 王笏〟と〝ネクハクハ 殻竿〟の三つの装具と共に表されます。
古代エジプトに文明をもたらしたオシリス神は、死んだ後に冥界の容赦ない審判者になります。
それと同時に、総てに命を与える地下世界の采配者として位置づけられます。
死後に新しい命を与えられるという人々の希望にもなり、愛の統治者、彼は永久に穏やかで若々しい者、沈黙の支配者とも呼ばれるようになりました。
草木の芽を出させる、ナイル川を氾濫させて肥沃な土地を与えることから、自然の中に見いだされるサイクルと関連づけられ、新年の始まりに関係するオリオンとシリウスと結びつけられています。
エジプトの王様は自分たちの先祖であるオシリスの延長線上にある存在で、彼が死から復活したように、自分たちも生き返る、彼と合体して魔法の行程を模倣すれば永遠の命を授かれると考えたのです。
棺文書や死者の書の現れる新王国時代にはファラオだけでなく、もし同化の儀式のための費用をまかなうことが出来れば誰でもオシリスと一緒になれると信じていました。
オシリス神を含めた幾つかの神々の姿は〝ミイラの姿〟で表されると解説されていますが、これはミイラとしての表現ではありません。
古代エジプトの芸術家たちの表現力と技術は高度なものだったのは発見される品々の中に明確に見られます。
これだけの写実性を持っていた芸術家や彫刻家たちが、ミイラを表現するのに包帯を捲いたように彫りを入れないということは考えにくいのです。
身体が白いことが白い包帯に結びつけて考えられていると思いますが、これは包帯を巻いた身体ではなく、白い霊体のことです。
普通の人間のように腕や足が胴体と一体化している様は、包帯で捲かれた姿ではなく、形があまい、部分的に溶けているように、明確な形でない状態を表しています。
ファラオの来世
古代エジプト人の信仰の中で最も大きな位置を占めていたのが、死後の世界で神々に迎え入れられて再生し、永遠の命を授かって生きることでした。
ファラオ達は死んだ後に来世で蘇り、神々から永遠の命を授かるためには、肉体を保存しておく必要があると考えていたので、死んだら肉体に防腐処理を施し、ミイラ化して保存するという習慣が発達していきます。
その謂れになっているのが創造神の誕生と再生、そして冥界の神オシリスの死と再生の神話です。
古代エジプトのファラオ達は、死んだの後の〝生命〟を確実なものとして保証するための様々なステップ、永遠の命を授かるための準備を怠ることはありませんでした。
エジプトの大地と人々を生き神様として統治するファラオの王冠を授かった瞬間から、まるで時間と戦うかのように自らの死の準備、ミイラを納めた棺を安置する墓と、死んだ霊のために儀式を行う葬祭殿の建設を始めています。
初期のファラオ達はピラミッドの中の部屋を墓として選び、ピラミッド時代が終わると、崖の側面にある入り口からトンネル形式で切り崩して通路を掘り進め、その最も奥に自らのミイラを納めた棺の部屋を造りました。
それは地下世界へ降りていく行程を比喩しているのと同時に、先が見えないほど延々と長い通路はミイラを守るための目的もあったのです。
そして墓の中には死後の世界で必要になる総てのもの、生前に使っていた神々を奉る小さな寺院、神具、宝飾品、馬車、木造の船、家具や寝具、日常の生活に必要な品々などが綿密に揃えられています。
ミイラにされたのはファラオやその親族だけでなく、王族に関係していた人々や、飼い猫もミイラにされています。
雌ライオンの頭をした女神バステトが信仰されていた古都ペルバスト(ブバスティス)には巨大な猫の墓があります。
猫は冥界で飼い主と一緒になって来世へ旅すると考えられていたのです。
猫も故人の扱いと同じように餌が必要と考えられていました。
ファラオの生前の栄華と死後の世界への出発を永遠に記憶するための準備と、ミイラ処理と埋葬の儀式、墓の近くに建立された葬祭殿での儀式は、長い歴史を持つ葬祭団によって行われました。
儀式の目的は故人が来世で恩恵を授かるためですが、場合によっては憤った霊や、悲しむ霊をなだめるためにも行われました。
一般的には親族によって行われていましたが、財力のある人々はお金を支払って神官を雇って儀式を行わせています。
死後の世界のことを考えたのは仏教圏の文明だけではなく世界中にみられるものです。
死と死後の世界での再生を取り巻く宗教的な教えと、その実践の中心的な位置にあったのが葬祭の儀式でした。
古代エジプトだけでなく、輪廻転生が説かれている日本を含めた仏教圏、古代ローマ、ギリシャ、イタリア半島、メソポタミアなどの文明圏にもみられる習慣です。
仏教の始祖として信仰される釈迦族のゴータマ・シッダルタが生まれたのは紀元前7世紀から5世紀とされています。
釈迦の教えは、精進を積んで覚醒することによってカルマを解消し、黄泉の世界での審判を潜り抜け、輪廻転生のサイルクの輪から解脱して神々の世界へ迎え入れられることです。
そしてこれは古代エジプトのファラオ達が持っていた宗教的な世界観と全く同じものです。
古代エジプトの輪廻転生のアイデアとされるピラミッド文書は、古王国時代、紀元前2494年頃から紀元前2345年頃です。
さらには、紀元前32世紀の終わりから紀元前31世紀の初めにアドビスを治めた、エジプト王朝誕生前のファラオ、カー王の墓から出土したガラスの破片には、転生のシンボル、来世へとファラオを導く〝ホルス神が留まる箱〟の原型「セレク serekh」が描かれています。
ここを輪廻転生のアイデアの出発点とするなら、紀元前3000年の古代エジプトには来世への旅という世界観が存在していたことになります。
輪廻転生の世界観は仏教圏で生まれたのではなく、古代エジプトが発祥の地だということです。
日本人の主な宗教として広まっている仏教の原型は、シッダルタが育って悟りを開いた地ではなく、紀元前3000年前、またはそれ以前の古代エジプトなのです。
続く
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