ものを見ていても細かくは記憶してない

それでは美術の時間に習ったデッザンを例にして書いてみます。

デッサンする対象が目の前に置かれて、それを出来るだけ細部にわたって本物のように紙の上に描き出すのがデッサンです。

この場合は目を開けて対象物を見ながら、それを紙の上に写すのです。

視点は対象物と紙の上を行き来してデッサンを仕上げて行きます。

では、対象物を細かく観察して記憶する努力をしてから対象物を隠してみましょう。

そして記憶だけを頼りに、対象物を見ながらの時と同じように紙の上に描くことが出来るでしょうか?
 
私たちは朝起きてから夜になって寝るまで目を使って、様々な映像を見ながら一日を過ごします。

しかし、その生活の中で見たものが全て明確に記憶されているのか? と聞かれたら、一日に見た映像の全てを細部まで思い出せる人は非常に稀でしょう。

実際的な話し、私たちは目を開けて絶えず映像を見ていますが、記憶しているわけではなく、それらの多くはただ映像として脳裏の中を流れてゆくだけなのです。

ですからただ流れ去っている映像を、いざ思い出そうとしても明確には思い出せないのです。

私たちは目を使ってはいますが、ただ見ているだけで、意識的に記憶はしていないのです。

稀に「フォトグラフィック・メモリー」と呼ばれる、見ているままを、まるで写真を見る時のように思い出せる人がいますが、そんなに多くはありません。
 
私たちは目を開けてものを見ていますが、目の前に広がる何かの映像を見ながら何かを考えていることが多いのです。

頭で何かを考えている時は、目の前の映像というのは脳裏に刻まれにくいのです。

車の運転を例にとってみると、運転手は目的地に着くことと、安全運転を心がけることに意識が集中しやすいので、運転している時に視界に入っている映像を細かく記憶している暇はないのです。

目に映る映像を見ていますが、その映像は流れて行くのが一般的で、意識的になって道順の風景を見て覚えようと努力しない限りは記憶に留まりにくいのです。

これは道を歩いている時も同じで、家から駅までの道筋の風景を、まるでビデオで撮影したかのように明確に思い出せる人はまずいないでしょう。
 
一般的に私たちの脳は、見た映像を、そのまま記憶するようには訓練されていないのです。


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