アブシンベル神殿とフィラエ神殿を訪問した後に始まったのがナイル川のアスワンから下流のルクソールへ向かうクルーズです。
ナイル川のクルーズと言えば英国の推理作家アガサ・クリスティーの「ナイルに死す」という作品が有名で、この映画の影響でとてもワクワクしていたことを思い出します。
私たちのクルーズ船は映画の撮影で使われたような古い型のクルーズ船ではなく、その当時では近代的な作りでした。
アスワンからコムオンボ、エドフ、そしてルクソールという順番でナイル川を降りて行くという行程です。
コム・オンボ神殿は古代エジプト第18王朝6代目のファラオ、トトメス3世によって建立されたとされ、頭がワニのセベク神と、隼の頭のハロエリス神を奉った神殿です。
セベク神というのは、豊穣の神さまで、女神ハトホルとコンス神と共に世界を造ったとされる創造神の一人です。
ハロエリスというのは、その地域で呼ばれていた天空神ホルスの別名です。
コムオンボ神殿の南部はセベク神、北部はホロエリス=ホルスという二人の男性神を同格で奉るという二重の構造になっています。
1992年当時の私は神殿の大きさと、想像していたよりも柱や壁画などの鮮烈な色彩、ワニの頭を持つ神様とその化身のワニを信仰していたという不思議さに眼が点になっただけでした。
今でこそ古代エジプトの神々の姿や、それぞれの関係性に関して興味がありますが、その当時は、どうして頭がワニの神様なのかを考えたり、何かに当てはめて推測したりすることなど考えられない状態だったのです。
それほど古代エジプトの神智学というのは、私の中のスピリチュアルな常識の範囲を遥かに超えた領域だったということです。
曖昧な記憶を思い返してみると、昼間にも関わらず神殿内は薄暗く、神殿の中にワニのミイラが展示されていて、神殿南部の下部には水が入り込んだ池になっていて、そこでワニを飼っていたということくらいです。
次に下船した場所はアスワンとエスナの間にあるエドフ神殿です。
エドフのホルス神殿は最も完全に保存されていた古代神殿だとされ、エジプト旧王国時代を皮切りに、新王国時代に建立された小さな神殿を基にして、後のプトレマイオス王朝時代BCE237年からBCE57年の間にプトレマイオス建築様式で大きく増設されたと解説されています。
エジプト新王国の時代は紀元前1570年頃 - 紀元前1070年頃で、約500年間に渡って続いた王国です。
第18王朝の王・イアフメス1世がエジプトを再統一してからの時代が新王国だとされています。
新王国時代は古代エジプト文明が最も栄えた時期で、最大の勢力範囲、経済力を持ち、数多くの記念的な建造物がこの時代に建設されています。
新王国時代・第18王朝のトトメス1世の頃にテーベ西側の涸れ谷に初めて王墓が造営されて、それから王家の谷が発展し始め、後の王族達はこの谷に王墓を造営し続けました。
新王国時代で知られているのがハトシェプスト女王で、彼女の葬祭殿は古代エジプトを代表する建造物の1つです。
次に現れるのがトトメス3世で「古代エジプトのナポレオン」と呼ばれた王です。
そしてアメンヘテプ3世が統治した時期が第18王朝が最も繁栄した時代になります。
アメンヘテプ3世は空前の規模の建築活動を行ったとされ、テーベのそばに人造湖を作らせてマルカタ王宮と結び、その北にはアメン神殿を建立しています。
後のアメンヘテプ4世が「アクエンアテン」と呼ばれる王で、この方が「黄金のマスク」で知られるツタンカーメン王の父親になります。
アクエンアテンはアテン信仰を追求した方で、彼の時代に宗教改革が行われ、それまで多神教だった宗教を、アテンのみを信仰する唯一神信仰へと変革してします。
彼はアテン神のための新都アケトアテンを建設しました。
その次に現れるのが黄金の少年王と呼ばれるツタンカーメン王です。
彼は父親のアクエンアテンの行った、アテン神を唯一信仰するという宗教改革を、元の多神教へと戻しています。
そしてラムセス2世の時代には古代エジプト史上最大の建築活動が行われ、アブ・シンベル神殿、テーベのラムセス2世葬祭殿(ラメセウム)などを建立しています。
ラムセス3世が新王国時代での最後の王になり、彼自身の葬祭殿であるマディーナト・ハブ神殿を建設しました。
プトレマイオス朝は紀元前306年頃からだとされ、新王国時代の終わり紀元前1070年頃からプトレマイオス朝までの間は約700年間になり、その間にエジプト第3中間期、末期王朝時代、グレコ・ローマン時代と三つの王朝時代が入っています。
グレコ・ローマン時代を統治したアレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)の死後に彼の部下だったプトレマイオスによって時代が進んで行きます。
アレクサンドリアに首都が置かれ、ヘレニズム文化の中心地としてアレクサンドリアは地中海屈指の大都市として繁栄を続けました。
その中で、女神ハトホルを奉り、デンデラ・ゾディアックや、デンデラ・ライトなどが残されているデンデラ神殿、クヌム神を奉るエスナ神殿、コム・オンボ神殿、そして女神イシスを奉るフィラエ神殿などが建築されています。
エドフ神殿の基礎は新王国時代に建設され、その名残りがパイロンと呼ばれる巨大なゲートで現在でも残っています。
この神殿の歴史を遡ってみると、3100BCという最も古いエジプト王国が始まる前の時代から、旧王国時代を経て、新王国時代、そしてプトレマイオス王国時代までと、約3000もの歴史を持つ建造物だということが解りました。
エドフ神殿にはビルディング・テキストと呼ばれる刻印 による書が残され、それは二つの方向性があるそうです。
その一つは建設に関する内容です。
もう一つは、エドフ神殿とその他の神殿群が〈創造の島〉であるという神秘的な翻訳と、情報を残すというものです。
そしてエドフ神殿の中に刻まれているホルス神とセス神の間で繰り広げられる聖なるドラマの数々です。
これらのエドフ神殿に残された碑文に関する研究と解析は、ドイツのハンブルグ大学の研究チームによる「エドフ・プロジェクト」の中で翻訳が行われています。
前にも書いたように1992年のエジプトへの旅は前年のペルー旅行と違い過ぎて、自分の中では釈然としない位置にありました。
旅の過程のそこここで幾つかの神秘体験をしましたが、それはペルーでの天地がひっくり返るくらい衝撃的だった経験とは比べられないものでした。
そんな中でクルーズの渦中に船内のコンパートメントで瞑想に挑戦してみました。
その理由はペルーよりも神秘体験が起きなかったからです(笑)
とにかく瞑想でもすれば何かのヴィジョンでも視えるかも? と思ったわけです。
いざ個室で一人になって瞑想を始めても、ペルー旅行の時のように色んなヴィジョンが押し寄せて来たわけではありませんでした。
ヴィジョンを受け取ることに固執し過ぎていたからかも知れません。
かなり挑戦した結果に、一つだけ明確なヴィジョンを視ることが出来ました。
真っ暗闇の中に、横から見た赤いマントを来た人物が現れたのです。
右足を立てて跪づき、胸の前で両手を合わせている姿を横から見ていました。
赤いマントの先端が地面について、その一部が盛り上がっていましたが、マントの中の様子、どんな服装をしているのかは視えませんでした。
そのヴィジョンの中で最も注意を引いたのが、頭です。
頭の上に、三つの丸い突起のようなものが出ているのです。
この三つの丸い突起は、前から後ろに直線的に並んでいるのではなく、全面から後ろに向かって逆三角形をつくるように突き出ていました。
何かヘルメットのようものを被っているのかと思いました。
この不可思議なヴィジョンは自分の中で全く意味をなさず、あまりの謎なぞ的なヴィジョンだったので、ツアーリーダーをしていたニューヨーク在住のチャネラーさんに質問したくらいです。
しかしチャネラーさんがチャネリングするエンティティーからの回答も自分の中で、ピンとすることも、噛み合うどころさえも全く無く、ヴィジョンを理解するどころか疑問符が大きくなるだけでした。
この時に視た三つの丸い突起のついた頭とマントを着た人物に関する最初の謎解きのヒントを得たのは、それから約10年以上も経ち、ホノルルへ移動して、ハワイアンの文化を調べ始めた時期でした。
古代のハワイアンの王族が来ていたアフウラ:羽の外套と、マヒオレ:羽で造られたヘルメットに関することを調べていた時です。
このマヒオレのヴァリエーションを調べていた時に、エジプトで視たヴィジョンに最も近い、ヘルメットの上に三つの丸い突起のような種類が航海士のスケッチの中に残されていたのです。
これを発見した時は、驚きを超えた明確な気づきがやって来ました。
古代ハワイアンの叡智は絶対に何かしらの形で古代エジプトに繋がっている・・・。
その当時に一緒に働かせていただいたハワイ大学の名誉教授で、人類学者、天文学者、インドパシフィック言語教授のアンティー・ルビライトも、ハワイアンの精神世界は古代エジプトに関係していると聴かされていたので、余計に腑に落ちました。
しかし、古代ハワイアンと古代エジプトを繋ぐ見えない絆に関する事柄は、近年になるまで辿り着きませんでした。
この時はまだ古代エジプトに関して興味があるどころか、ハワイアンの精神世界に引き込まれていた時期だったので、この意外な展開にも驚きましたが、エジプトの謎のヴィジョンは、ハワイアンの謎と合体して、さらに不可解なヴィジョンと化してしまったのです。
ナイル川のクルーズで視た、頭に三つの丸い突起をつけ、赤いマントを着た不可思議な人物のヴィジョンは、ホルスの錬金術に関係する内容だったのです。
しかもそのヴィジョンを視たのは、コムオンボからホルス神を奉るエドフ神殿までの間のどこかだったのです。
頭の丸い突起が象徴的に教えようとしていたのは「三つの脳内ランプ」のことだったのです。
続く・・・
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