前回に書いた1992年のエジプト旅行でギザに滞在していた時の話しの続きです。
エジプトに到着して初日はギザに滞在し、翌日には国内線の飛行機に乗ってナイル川の上流に位置するアスワンという都市へ向かいました。
アスワンという街はアスワン・ダムの少し北にあります。
古代エジプトでは「スウェンテット Swentet」と呼ばれいた都市で、その呼び名は古代の女神の名前だとされています。
女神スウェンテットに関する詳しい解説は英語で検索しても出て来ません。
後に古代エジプトがローマ帝国の支配下になった時に、女神スウェンテットはギリシャのエイレイテュイという名の女神に当てはめられました。
エイレイテュイは神々の王ゼウスと、その正妻であるヘーラーの間に生まれた娘です。
結婚の神でもあるヘーラーの供として、エイレイテュイは出産と産婦の保護を司ると解説されています。
女神スウェンテットはギリシャの女神エイレイテュイと同じような位置で人々に崇められていたと考えられています。
赤ちゃんは出産で産道が開いて出て来ることと、それを助ける女神ということから「開き口」という意味が「貿易」も当てはめられ、スウェンテットというヒエログリフは古代エジプト語での「貿易」という意味だとも解説されています。
ナイル川の上流の開き口という意味を持つスウェンテットの街は「スウェネットの開き口」または「スウェネットの始まり」と 理解されています。
このアスワン=スウェネット=スウェンテットの街で有名なのが、アブ・シンベル神殿、そして女神イシスを奉っていたフィラエ神殿です。
アブ・シンベルの大神殿が奉っているのは、アムン、太陽神ラー・ホラクティ、そしてプターという神々です。
神殿のあった元のロケーションでは、毎年の2月22日と10月22日の年に二回の日に太陽の光りが聖域の奥の壁にまで差し込み、冥界を司る神プターを除いた神々へ届けられると解説されています。
小神殿は女神ハトホルを奉っています。
これらは新王国時代第19王朝(紀元前13世紀)のファラオ、ラムセス2世により、20年の歳月を費やして建立されたと解説されています。
小神殿はハトホル女神を奉っているだけではなく、ラムセス2世が最も愛していた王妃ネフェルタリに捧げられた神殿でもあります。
アブシンベル神殿はアスワン・ハイ・ダムの建設によって水没してしまうことが懸念され、ユネスコによって救済活動が行われたことでも有名です。
ユネスコは1964年から1968年までの4年間の中で神殿を正確に分割し、210メートル離れ、標高が60メートル高い丘へと移して再築しました。
巨大なアブシンベル神殿の移築と同じように、女神イシスを奉ったフィラエ神殿もユネスコによって場所を移され移築されています。
フィラエ神殿が始まったは、第30王朝のファラオだったネクタネボ一世の時代、BC380年〜BC362年からとされ、女神イシスの神殿が建設されたのは、グレコローマン時代、プトレマイオス朝の中だとされています。
出産と産婦の女神を奉った神殿の名前「フィラエ」とは「境界線」という意味も持っているそうです。
フィラエ神殿の主神は女神イシスですが、その他にも女神ハトホル、ハレンドーテス=ホルス神も奉っています。
1992年にアブシンベル神殿とフィラエ神殿に行ったのですが、なぜか記憶の中に強く残っていません。
アブシンベル神殿の巨大さは印象に残っているのですが、この神殿に対するスピリチュアルな感覚を通じての興味はホボありませんでした。
それと同じようにフィラエ神殿にもさほどの興味は湧いて来ませんでした。
通常の場合、このような古代遺跡に行くと何かしらのサイキックな感覚が働き始めて、様々な角度での情報収集が自動的に始まるのが普通なのですが、なぜか感覚が動かなかったことを良く覚えています。
そのような曖昧な記憶の中で、フィラエ神殿の中の一部の四角い小さな神殿の中を通った時に、亡くなった人のスピリットの存在を感じたくらいで、それ以外はアンテナが強く動くことはありませんでした。
そんなことを思い出しながら考えていて腑に落ちたことがありました。
それはアブシンベル神殿も、フィラエ神殿も元々の場所で解体され、別の場所に移築されているために、元々の土地の上に残っている「記憶」が失われているということでした。
その当時は古代エジプト文明に関して深い興味は持っていなかったということもあり、余計にアンテナに引っかからなかったのでしょう。
一般的に神殿などの聖域は、パワースポットとしての力を持つ土地の上に建立されるのが普通です。
そのようなパワースポットの上に神殿を建立することによって神殿そのものが機能するわけです。
しかし別の場所に移築されたことによって、土地そのものと、その上に記憶されている様々な波動的な情報までは動くことはなかったのだと思いました。
アスワン地区のアブシンベル神殿とフィラエ神殿は移築されていますが、その他の遺跡は元々の場所に残っていますから、後に訪問した遺跡では、それなりにアンテナは動いていたのです。
今は古代エジプトの叡智や発掘品などに強い興味を持っているので、近い将来にエジプトに赴いてアブシンベル神殿とフィラエ神殿へ再び行ってみたいと思ったりします。
移築された遺跡そのものに波動的な記憶が少ししか残っていなくても、もっと深くチューニングして、元々の場所まで波動を追跡して繋げることが出来るのかも知れないと考えたりします。
特にフィラエ神殿に関しては、女神イシスを含めた、ハトホル神、ホルス神などを奉っている総ての神殿群に残されている壁画を隅から隅までジックリと間近で見たいという欲求があります。
その理由は、このフィラエ神殿の壁画の中に、古代エジプトの光りの錬金術に深く関係する壁画が必ずどこかに残っているはずだからです。
昨年に知り合いの女性がエジプトに長期滞在をしたので、彼女に頼んでフィラエ神殿の写真を可能な限り撮影して送ってもらいました。
しかし隅から隅まで余す事無く総てを撮影して送って来たわけではないし、壁画も部分的で全体像までは解りませんでした。
後に古代エジプトの驚異的な建築技術に関するドキュメンタリーを見た時に、その中でフィラエ神殿の一部が紹介されていました。
そこで紹介されていたのは、神殿の一部は古代インカ帝国の石切の技術と酷似している方法が使われ、剃刀の刃も入らないほど精密に切り出され、緻密に組み合わされているということでした。
さらに通路を挟んだ石壁は使われた石の大きさも、その組み方も全く同じシンメトリーになっているのだそうです。
近代的な機械を使ってさえ難しい作業を、一体どのようにして建築したのか解らないと話していました。
古代エジプトの建築技術というのは、ノミや石鎚ちだけで切り出され、彫り込まれて作り出されたのではないことだけは明らで、何かしらの電動的な器具が精密に使われているのだそうです・・・。
続く・・・。
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