性転換+スピリチュアル


初めての小説「ブルードルフィン」は基本的にGLBTな内容ですが、それだけではありません。

今までの著作と同じように、サイキック+スピリチュアルな世界観でストーリーが展開され、普通では見えない、感じられない世界を、GLBTの世界を通して描きました。

そんな内容なので一言で簡単に説明するのが難しい。

その舞台になっているのが〝ハワイィ〟という島々、そして海です。

「ブルードルフィン」はハワイ+GLBT+サイキック&スピリチュアルという三本立てな内容の変わった小説ということです。

GLBTな部分はその世界に住んでいない人たちにとっては〝あなたの知らない別の現実〟的に映るかも知れません。

そのGLBTな部分でさえアメリカ的なので日本のGLBTシーンとも趣が違うのではないかと思います。


この作品で主に書きたかったのは、普通の人間として経験し得る類いの内容です。

友情、恋、セックス、失恋、混乱、喪失、病気、死、愛、再生などという普遍的なテーマです。

そこで三人の主人公を登場させました。

その内の一人、COCOが性転換をして女性になったトランスジェンダーです。

転換前ではなく、転換した後のことで、男と女という〝性の狭間〟の視点、肉体と心のギャップがテーマの半分。

男から女性へ身体を作り替えてから新たに始まった心の旅路、精神性の変容のような内容です。
 

COCOを通じて性転換に関係する内容が語られますが、 性転換そのものよりも、彼→彼女の世界観が性転換を巡ってどう変わり、最終的にどこを目指したかを書いてみたかったのです。
 

性転換して男の形から女の姿になったけれど、自分自身と上手く折り合いがつかない。

男だったという過去から逃げられない。男だった時の心の痛みは掻き消せない。

身体は女性になっても心がその中に落ち着かない。

本当の自分に近づくために性を変えたけれど、本当の自分が分らなくなる。

完璧に近く女に近づいたけれど自分を完全な女として感じられない。
 

COCOの〝自分と向き合う〟〝ありのままの自分を受容する〟という精神的な葛藤は、自分の性に対して疑問を持ってない人たちとベクトルの度合いが少し違うだけで、誰もが何かしら同じようなジレンマや葛藤を抱えています。

〝○○な自分が嫌い〟


〝自分の○○な部分が気になる〟

〝○○な自分になりたい〟

自分の中にある自分との葛藤、理想の姿とのギャプ、コンプレックスというのは、それを見つめれば見つめるほど大きくなり、変えようともがいて動けば動くほど、抵抗するほど逆に縛られてしまう。

ありのままの自分を認め、そこから変容していくという自己受容のテーマは、人間の精神的な成長、スピリチュアリティーと密接に繋がるものです。

そして、それに深く関係するのがセックス=性+性別です。

性+性別に縛られるか、それから自由になるか。

その先にあるのが性別を超えた人間性です。

初めての小説でGLBT+性転換+薬物依存+HIV/AIDS+サイキック&スピリチュアルを選んだのは明確な理由があります。

小説を読んだ私の周囲のスピリチュアルに傾倒する友人の数人は「もっと普通のスピリチュアルな話しだったら入り込めたのに」と言いました。

主人公を普通のヘテロな男性または女性にして、もっと無難な内容のスピリチュアルなテーマで書くことを考えなかったわけではありません。

例えば、予期してなかった出来事で人生につまづいて、旅に出て自分自身のことを知っていく

不思議な出会いのグルに導かれて精神性が開かれていく

青天の霹靂でETとコンタクトできる人に知り合って宇宙文明と宇宙そのもののことを理解していく

突然に不治の病を宣告されて、生き残るために様々な可能性を求めて世界中のヒーラーを訪ねて廻るとか。

そちらの方が断然に一般的だし、自分に当てはやすく共感しやすいのは明確です。

しかし私はそこに興味がありませんでした。

〝一般的なスピリチュアル〟を書く気は始めからなかったし、必要性も情熱も感じませんでした。
 

GLBTな世界を蔑視する、気持ち悪いと嫌悪する、全く別世界のことだと境界線を引いてしまうなら、スピリチュアルや無条件の愛、人類愛、世界平和などからほど遠い——。 

そんな状態の精神性では、眼に見えないスピリチュアル世界に招かれたり、地球外文明とのコンタクトなど起きえません。

それらと深く繋がり始めると、自分の性に対する意識、性差別、人種的な偏見、フォビア的な側面、恐れ、怒り、悲しみ、愛情の度合いとその広さと深さ、ありとあらゆる自分勝手な思い込みや意識の制限などが容赦なく試されます。
 

そういう理由から一般的なスピリチュアルを書く気はサラサラなかったのです。
 

ヘテロセクシャルとGLBTの違いは性的な趣向だけであって同じ人間です。
 

浮き沈みする感情もあるし、痛みも感じる。
 

この〝感じる〟という人間の基本的な力もCOCOを通して描いたテーマの半分、ESP(超感覚)&スピリチュアルな世界に関係します。

ESPはエクストラセンソリー・パーセプションの略で、通常の五感を超えた超感覚のことを指します。

この部分は明確に人間のスピリチュアリティー+潜在的な能力+可能性と繋がるものです。
 

彼女を通じて書きたかったESP(超感覚)&スピリチュアルな部分は、他人の感情や痛みを感じる、超感覚なセンスに翻弄される、スピリチュアルな次元から頻繁に干渉される生活+人生です。
 

そして小説内で書いたそれらの出来事は、想像の域から出ることのないファンタシー的な作り話しではありません。

話しの中のサイキック体験の部分はわたしの個人的な実体験を元に織り込んであります。

ESP+サイキックな世界を知らない人にとってはファンタシーに映ると思います。

しかしサイキックな ESP 世界に住む人はリアルな現実として受け取れるでしょう。


 ESP(超感覚)というのはどういうものなのか?

 サイキックな視点だと世界はどう見えるのか?

 感覚を通じて ESP的に解ってしまうとは?

 ESP的に感じるとはどういうことか?

 見えない向こう側の世界との橋渡し的な役割とは?
 

そんな内容が最初からクライマックスまでを引っぱっていきます。
 

ESP能力にも様々な種類があり、簡単に一言で表現できる類いのものではなく、一般的には以下のように分類されます。

 クレアヴォヤンス(超視覚)
 クレアオーディエンス(超聴覚)
 クレアガスタンス(超味覚)
 クレアアリエンス(超臭覚)
 クレアセンチエンス(超体感力)
 エンパス(超共感力)
 クレアレコグニザンス(サイキック的にわかる力)
 

「ブルードルフィン」の中で最も表現したかったESP的な事柄は〝エンパシック:感じる能力〟と クレアヴォヤンス(超視覚) の二つです。

自分ではない人の心の痛みや感情を感じるのは、一体どういうものか、視えるという世界はどんなものかを書きたかったのです。

その延長線上で、超感覚を持っている主人公に対して、スピリチュアルな世界がどのように干渉し得るかも描いてみました。


その他の能力についても書きたいと思いましたが、難しく専門的になってしまうと解説する必要がでてくるし、難度が高いと複雑になってしまうので続編でさらに深い部分を書こうと思っています。




GLBT長編恋愛小説「ブルードルフィン」は最終チェックの段階なので、あともう少しでお読みいただけるようになります。

ステイチューン☆

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