2011/10/22

KAUAI島:プリンス・クヒオ生誕地


次に行ったのはクーヒオー皇太子の生まれた場所。

この場所は「癒しのパワースポット」と言うよりは、ハワイ歴史の中で王族に所以のある場所と言った方が良いでしょう。

 パっと見ではヘイアウ的な作りですが、昔のハワイアンの住居跡というのは、こういう造りなのです・・・。

かと言って、この敷地の中に神事系の波動が全く無いのかと聞かれたら、そうでもなく、そこここに神事的な波動は残っていました。

昔のハワイアンの生活は、生活の中に神々との交流というか、神事的な要素が密着していたので、敷地の中にそのような波動が残っていても不思議では有りません。


とくに、ポーハク・オ・カーネ(カーネの石)と呼ばれるファミリーストーンは、敷地内にあったことが多いのです。


このファミリーストーンというのは、日本的に書いてしまうと、仏壇のようなもので、一般的には、その家族で崇めている神様を奉っていました。


ここは、とても良く大切に管理されているので、寂れた感じはありません。


コーロア・ヘリテイジ・トレイルの中にも含まれているので、ポイプ周辺の観光地としても良く紹介されているようです。

この建物跡は何も知らなかったらヘイアウだと思っても仕方ないでしょう・・・。


クーヒオー皇太子の本名は「Prince Jonah Kuhio Kalanianaole」で、1871年の3月26日に、ポイプ地区のホアイ、ククイウラで生まれました。

彼の両親はルーリングチーフであり、カウアイ島で最後の王様の息子だったデーヴィッド・カハレポウリ・ピイコイと、カピオラニ王女の姉妹であるプリンセス・ヴィクトリア・キノイキ・ケカウリケ。




カウアイ島というのは、ハワイの歴史の中で「守られた島」として語られることが多々あります。

カメハメハ大王が全ての島々を統一してハワイ王国を立ち上げるわけですが、その時にもカメハメハ大王はカウアイ島を征服するのに苦難していました。

カメハメハ大王は、当時マウイ軍の支配下にあったオアフ軍をヌウアウの決戦で撃ち落とし、その後にカウアイ島を攻略して征服する動きに出ました。

カメハメハはカウアイ島攻略のために、オアフ島の西海岸・マーカハにあるヘイアウを、ルアキニ(生け贄)ヘイアウとして再建立し、闘神クーカイリモクを祀ってカウアイ島の征服のための神事と願掛けを行いました。



しかし、彼はカウアイ島を攻略することが出来ません。

その理由は、カウアイ島征服を目指して軍を出陣させますが、神風にであって失敗してしまったのです。


しかし、カウアイ島のチーフが平和的な統一を求めてカメハメハの支配下になることを承諾する動きに出て来たので、その結果にカメハメハはハワイ島を統一することが出来ました。

カウアイ島が自主的に降伏しなければ、カメハメハのハワイ諸島の統合はどうなっていたのでしょうね・・・・。


カウアイ島には、そういった背景もあるので、「神の島」と呼ばれることもあります。

ハワイ王国は二つの王朝に別れ、最初がカメハメハ大王の血筋である、カメハメハ王朝で、その次がカラーカウア王朝です。

クーヒオー皇太子は、二番目のカラーカウア王朝に所以のある方で、彼の両親は共にカウアイ島の王族に関係しています。

彼の父親のデーヴィッド・ピイコイは、カウアイ島の昔からの王族の血を引くハイチーフ・ジョナー・ピイコイ。

彼の母親であるヴィクトリア・キノイキ・ケカウリケで、彼女の母親はカウアイ島出身です。


ハワイイ王朝の創始者であるカメハメハ大王はハワイ島とマウイ島の王族の血筋で、カウアイ島の自主的な降伏によって誕生したわけですが、そのカメハメハ王朝の血筋が絶えてしまったために、カウアイ島の王族に関係するカラーカウア王朝に移行したというのも興味深い所だと思います。
カメハメハに降参したものの、結果的にはカウアイ島の子孫がハワイ王朝の統治者となったわけです。


歴史的なアカウントで、クーヒオー皇太子のニックネームは「プリンス・キューピッド」だったそうで、その謂れは、フランスの教師が彼の小さな外見と、天然の巻き毛、そして優しい性格からそう呼ばれたのだそうです。 

クーヒオー皇太子は、オアフ島のカラカウア王とその妃のカピオラニ王妃にハーナイ(養子縁組)として迎えられ、彼らの元で王族のメンバーとして育ちました。

1893年にリリウオカラニ王女が幽閉された時には、王族の後継者の中に含まれていましたが、後にハワイがアメリカ合衆国のテリトリーになると、クーヒオー皇太子は政治へと乗り出して行きます。

クーヒオー皇太子は1902年にハワイから米国議会の議員として選出され、その地位を10連続の長い期間に渡って維持し続けました。


日本人にとってクーヒオー皇太子というのは、カメハメハ大王や、カラーカウア王、リリウオカラニ女王、カイウラニなどに比べると、あまり名前を聞かない存在かも知れません。


しかしクーヒオー皇太子は、ハワイ王朝が撲滅した後のハワイの政治や行政の中でとても重要な役割を果たした存在として欠くことの出来ない偉人。

クーヒオー皇太子は50歳で、ワイキキの家で亡くなっています。


現在のワイキキに残されている「クーヒオー大通り」や、クーヒオー・ビーチパークなど、そして高速の名前であるカラニアナオレ・ハイウェイの名は、彼の偉業を褒め称えるために名づけられています。


こちらは生誕地の前に広がるラヴァロックのビーチ。

Poipu, Hawaii




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