アロハ
久しぶりのブログです。
色々と次から次に波のように変化が起きていたのですが、あまりの速度についていくのが精一杯でブログまで手が回らない状態でした。
そしてお知らせです。
ライトボディー第9段階を抜けました☆
これは凄かったです。
言葉にしようがないくらいの震度と衝撃的な体験でした。
言葉にするのが極度に難しい体験・・・。
まだ体験そのものの消化中なので、具体的に書きにくいので、まず補足メモ的に書いてみます。
【第9レベル】補足メモ
「幾何学と音域を解析することが容易になります。」
↓
解析という言葉は微妙な表現だと思いますが、以前よりも認識しやすくなっているのは確かです。
幾何学と音域の関係性、ある意味でダンスのような姿を理解し始めます。
その過程で自分のエネルギー体を含めたライトボディーの立体的な構造を意識し始め、そしてより明確に認識できるようになっていきます。
「魂は光りの言葉を使い、それは6次元の青写真を5次元のライトボディーの新しいテンプレートに変化させます。」
魂が光の言葉を使うようになるというのは、光の波動でコミュニケーションすることができるようになるというのが近いでしょう。
これは日本語や英語という地球の言語ではなく、波動的+周波数を通じてのコミュニケーションです。
その人の放っている波動を体感を通じて認識できるようになります。
例として書くと、その人の言葉や行動ではなく、本人から放たれている波動の状態がわかるようになる。
また相手から波動を受け取るだけでなく、波動を伝えることができるようになっていきます。
振動密度6に存在している青写真が、振動密度5にあるライトボディーの青写真を新しするわけですが、ライトボディーにも青写真があり、それが第6波動密度との共振によってアップデートされるという感じです。
これは第5波動密度のライトボディーが立ち上がり、起動し始め、強化させるにしたがってより容易におきていきます。
このアップデートを引き起こせるのが「魂によって放たれる光の言語」です。
「エネルギーフィールドのシフトによって肉体の形が変わる可能性があります。」
肉体の形が変わるというのは、人間の体からかけ離れた形状になるということではないと思いますが、肉体の形状は変わります。
その人の以前の状態にもよると思いますが、変化の過程で体はより立体的に立ち上がり、姿勢はより理想的な姿見へと調整されていきます。
エネルギーフィールドの変化は初期段階でエーテル層の拡大とエーテルグリッドの活性化で加速されます。
現在までのエーテル層の厚みは理想的ではありません。
エーテル層の厚みを拡大し、約3倍近くまで引き上げる。
その段階で、機能不全になっているエーテルグリッドにエネルギーを注ぎ込めるようになると、グリッドが少しずつ立ち上がり始め、エネルギーを供給すればするほどグリッドが機能し始め、自動的に様々な部位を修復し始めるようになっていきます。
この段階は一回や二回で終わるものではありません。
かなり継続的に続け、再構築されたグリッドが安定し、さらに容易に持続しているのが認識できるまで続ける必要があります。
次の段階で、肉体に近いエーテル層と、かけ離れているエーテルダブル層の間の互換性と共振する度合いが強くなり、その間を埋め始めます。
エーテル体は、その他にもエーテルダブルという2段目の層があるということです。
この両方ともにグリッドが存在し、これらのグリッドが立ち上がり、理想的な状態に安定すると、その間が埋め尽くされるようになっていきます。
この進化によって肉体をより維持しやすい、高エネルギー値の状態を保ちやすくなっていきます。
肉体はエーテル層だけでなく、エーテルダブル層からの情報を容易に受け取れるようになり、体内的な変化がより容易になっていきます。
「全域の全ての存在たちと内側から繋がっていることを感じ、 他の人たちからの意見との繋がりは少なくなります。 」
「分離と制限のゲーム」によって維持する望みとエネルギーを解放し、本当に自由だと感じます。
↓
この表現は少しわかりにくいと思うので、もう少しわかりやすく消化して書いてみます。
「分離」というのは、自分と周囲・肉親を含め、友人・知人・著名人・有名人などの間にある、分離・境界線を引いている意識の状態のことです。
端的に書いてしまうと「私はわたし、あなたはあなた。あなたと私は別人で、同じ存在ではありません」という認識です。
個別化または差別化している意識の枠という書き方もできます。
「制限」というのは、自分を小さくしている観念・概念・潜在意識的な信条などです。
私にコレは無理。できるわけがない。などの意識の制限です。
これは顕在意識層を含め、潜在意識層にも当てはまります。
多くの人は、顕在意識の状態・マインドは、できると信じていますが、いざ実際にことを進めていく段階で、実は「できないカモ?」「やっぱりできない・・・」と認識してしまうのが通常です。
制限が薄くなるに従って「できる」という認識が強くなり、事柄に挑戦するさいの思いの方向性が変わっていきます。
通常の場合、できるかできないか、成功するか失敗するか、勝利感を味わえるか敗北感を味わうことになるのか・・・など様々な懸念が浮かびがちですが、これらは一切消えます。
できる・できない、成功・失敗、勝利感・敗北感などという予測的なマインドの働きは機能しなくなり、そのような予測によって引き起こされる感情的な反応も機能しなくなります。
できる・できない、成功・失敗、勝利感・敗北感という類のものが意味をなさなくなります。
「分離と制限のゲーム」というのは、分離を引き起こし、それを維持させつづける、その個別感・差別感・分離感が制限を浮き上がらせ、できる・できないという世界観のゲームを回転させ続けているということです。
この「分離と制限のゲーム」の中で、望みというエネルギーが生まれます。
こうなったらいいな。こうありたいな。
望み・期待・希望という類のものです。
これらの望み・期待・希望というのはポジティブなイメージが強いものですが、実際にはこれらされも実際には意識の制限であることに変わりはありません。
なぜなら、今がそうじゃないから望み・期待・希望をもつわけで、そこにあるのは、分離と制限にほかならないからです。
これら分離・制限・ゲーム・望みなどのエネルギーから解放されると、自分が本当に自由で、制限をもたない存在なのだと感じられるようになります。
「第9段階は、ライトボディーが肉体の形態へ大量に下降する姿を目撃します」
上記は表現のされかたが微妙だと思いますが、そんな感じです。
これは先に出てきた「波動密度6の青写真を第5波動密度のライトボディーの新しいテンプレートに変化させます」というのに関係します。
この段階に入ると、自然な感じで第6波動密度にある青写真と、第5波動密度にあるライトボディの共振が容易になっている状態なので、とても簡単に融合させることができるでしょう。
とても簡単でした。
「この段階は第3と第6段階と同じように、とても強い再評価を見ることになり、魂へ最終的に降伏する過程を通じて、本当に超越的な楽器になります。」
この文の中には合計3つのファクターが述べられています。
・第3と第6と同じように、強い再評価がおきる
・最終的に魂に降伏することになる
・超越的な楽器になる
この過程のなかで、上記のことが起きるわけですが、究極の体験は、魂に降伏する部分でしょう。
魂に降伏す=エゴの溶解・崩壊です。
このステージに入ると、後戻りは不可能です。
完全に手放すしかありません。
これは究極の神秘体験になるでしょう。
その中で自分のエゴが崩壊するのを体験するわけですが、エゴの構造が溶解し、崩壊する中で、人生の中でもっとも強烈な恐怖を体験するかもしれません。
しかし、それは自分の方向ではなく、単なる脳の一部の機能・エゴに関係する認識機能が崩壊するだけです。
いままでエゴが自分だと思っていたわけですが、単なる機能的な崩壊で、その前段階で新しい機能が芽生え、成長します。
高揚感は前倒しで起き始め、日を追うにつれて強くなります。
実際にエゴが崩壊する段階では、究極の高揚感の中に放り込まれます。
その後にエゴ機能が溶解し始め、一気に崩壊し始めます。
時間的なスパンとしては、高揚感が起き始め、エゴの崩壊が起きるまで約6時間くらいだったでしょうか?
もっとも震撼するエゴの崩壊の長さは、15分以上だったと思います。
最初の5分くらいは地震な感じ。
半ば5分は極度の恐怖感ですが、同時に高揚感の中にいるので、とても異次元な体験でした。
残りの5分間もしくは、それ以上?(よく覚えてないんですワ)はどんどんと楽になっていきます。
この二つの機能が完全に入れかわり、古い機能が崩壊します。
抵抗は完全に無理☆
突入したら起きるので、大丈夫かどうか、色々と考えるかもしれませんが、それは意味をなしません。
突入したら抜けるだけ。
魂が収入と仕事、生活の中の他人など、その全てを決定するというのは、魂が、それらを意図的に決定できる位置に座るという感じですね。
「累代の時を経て進化しながらここまで辿り着いたにも関わらず、飛躍することは恐しいかも知れません」
飛躍にも段階があるでしょう。
まず飛躍しやすいように、ある時点で恐怖は激減します。
まるで恐怖を感じない位置まで引き上げられるということです。
究極の飛躍は、エゴの崩壊の時です。
しかしこの時点では自分の意思など関係ない、意思ではどうすることもできない、不可能な状態の流れに入っているので、考えない方がよいでしょう。
「完全に手放す前では、戻ったり、進んだり、 古く住み慣れた区域にしがみついたりするかも知れませんが、もう引き返すことは不可能で、全ては解放されなければなりません」
↓
これも下準備がきます。
段階的に徐々に導かれながら、最終的に一気に引き上げられると思うので、とにかく戻らない意識を常に持っている、常に確認し続けたほうがスンナリ進んでいくと思います。
とにかく肝を決める、到達すると決めた方がよいです☆
「第9段階は降伏であり、次がエクスタシー:高揚です」
まったく文字通りだと思います。
エゴの崩壊は、降伏するしかありません。
高揚感・エクスタシーの中で自我の崩壊が起きるので、次というよりは、同時進行ですね。
その後にエクスタシーに関する気づきがくるでしょう。
この経験を通過することで、意図的に高度なエクスタシー感を、肉体的に作り出せるようになります。
「私」を手放す。
私と手放すという表現も当てはまらない感じですかね・・・。
エゴの崩壊後も私ですが、以前とは完全に別人な感じです。
「自由意志はリアルであると同時に幻想です」
わかりにく表現だと思うので、消化してわかりやすく書いてみます。
自由意志はリアルなものというか、リアルに思えるものです。
エゴ崩壊前の自由意志が幻想だというのは、その時は完全に自由ではないから、自由を求めるゆえの希望という意思です。
明確性が低い、とても曖昧なもの? という表現が近いかもしれません。
エゴ崩壊後は、自由意志の角度が明確に変わります。
「そこへと導き、その権限を与える唯一のものは、魂と一つの状態であることです」
↓
文章がどこに主体を置いているのかわかりにくいので、微妙な表現ですが・・・。
たぶんこの文節が差しているのは、上記にでてきた複数のファクターを指しているのではないかと思います。
・エゴを手放す
・エクスタシーの高みに入る
・収入と仕事、生活の中の他人など、その全てを決定できるようになる=自分の意図で未来を創造できる・具現化できるようになる
これらの権限を授かれる唯一の状態は、自我の崩壊を経験し、魂と同化した存在になること
「生き残りの恐れは離れ、フォーカスは、今この瞬間に置かれます」
文字通りです。
恐れはホボ消えます。
その結果に過去または未来に振り回されなくなります。
過去も未来も今とは関係なくなる感じですかね?
過去からの恐れ、未来への恐れが消えます。
「恐れが浮上して来ても、それらがリアルでないように見え、容易に脇へ置けるでしょう」
文字通りです。
チラホラと揺れのように恐れが浮き上がる体験がありますが、そこを経験しても、以前のように囚われることはないですね。
すこし挑戦的でも、カナリ光速で脱け出れるようになってますね。
「コンセンサスな現実とから引き抜かれるようになり、その選択とリアリティーは他の人にとって現実的でないように見えるでしょう。」
↓
現実との関わり方が大きく変わるでしょう。
選択する際の視点が変わるというんですか?
エゴとか恐怖とかが無い状態なので、エゴ崩壊前とは違った習性でおこなわれるようになります。
これをエゴ崩壊してない他人からみると、現実的でないようにみえるわけですが、エゴ崩壊した人の視点では、遥かに現実的な選択なのです。
「第7、第8、第9段階からは、内面の光りが外へ向かって放出されていることに気づくようになり、この時点で信じられない程に地に足がつき、繋がり、中心に戻り、目的意識に溢れ、単に役立つことだけを望みます。」
段階なので、そんな感じですね。
最終的に自我が崩壊してしまうと、グランディングの方法も変わります。
これまで足元または第一チャクラ・下丹田でグランディングしていたのが、ハート・中丹田でグランディングするように変化します。
目的意識はスーパー明確になります。
というか、全てのことに対して明確な目的、またはアウトカム=なにを導き出すか?という目標的な視野・視点が明確になるので、それを達成する言動に変わります。
「しばらくの間は、第8と第9段階の間をスリップするかも知れません」
引き戻されるような動きが来ています。まだ第10段階に完全に至ってないので、どれくらいの頻度でスリップする、行き来するのかはわかりません。これからですね。
「完全に今この瞬間にいる感じから、制限された人間に再び戻った感じ、これは第9段階の終わりには落ち着き始めます。」
↓
混乱する文章だと思いますが・・・。
完全に今この瞬間に存在している感じが続きますが、次第に落ち着いてくる感じですね。
「制限された人間に戻った感じ」これは物理的な側面な感じ? たとえば、とても制限を感じない状態になった時に、とても強く「今しか感じられない」状態になります。
そこが落ち着いてくると、少し以前の自分の戻った感じ? がして変な感覚というのですか・・・。
しかしエゴ崩壊前の自分とは完全に違っているのは明確です。
表現しにくいですが、衝撃的な経験が次第に色褪せていくので、元に戻っている感じに誤訳しているだけだと思います。
しかし意図的に高揚感とか、意識の集約点とか、集中力とか、ヴァイタリティーとかをコントロールできるようになるので、前と同じような感じだけど、でも違っている感じですかね。
「自分の中のキリストの段階と継続的に繋がっていて、動いていることを感じ、意思と動機は常に最も高位へのもので、全ての人々にとっては、彼ら自身の内面の引き金や問題のために、そのように見ようと選択しないかも知れません。」
自分の中のキリスト意識もエゴ崩壊後とは変わっていると思います。
かなり同化されている感じ?
意思と動機は常に高位であるのは確かです。ブレない・揺れない・絶えずそれがある・というのですか?
「全ての人々にとっては、彼ら自身の内面の引き金や問題のために、そのように見ようと選択しないかも知れません。」
文章的にいいたいのは、エゴ崩壊後の自分を、周囲がどう見るか、判断するか、関わってくるか、ということと思います・・・。
エゴ崩壊後の自分と同じように周囲はみることができないということです。
その理由は、自我が働き、そこに自我の動機・理由付け、意思があるからです。
自我無しと自我がある状態では、動機・理由付け、意思の方向性が巨大に違うという感じですかね。
「第9段階は「私である」と掛けられ始めることろです。」
↓
自我崩壊前の自分はなにだったの?的なことを予測するかもしれませんが、自我が崩壊してしまうと、過去は一切関係しないような感じになります。
今さら過去はどうでもよいんじゃない?
今しか存在しないのだし、これから未来を創造するわけだから、過去は意味なしです。
「最後の三つの段階は、全てのエネルギー・フィールドを統合し、全てのチャクラは統合され、完全に「私」と繋がるようになります。 」
↓
これは第10・11・12段階の3つを指しているのだと思います。
第10・11・12段階の要点は、全てのエネルギーフィールドを統合すること。