久しぶりに良い音楽を見つけた。
聞いていて気持ちの良い音楽は、心を軽くして楽しくさせてくれます。
パターン化していたトランス系ミュージックもようやく次の時代に突入するか?
All Bound for Mu Mu Land!
現在、書き下ろしの新作に挑戦中。
ムームーランドのグルーヴで乗り切るぞ
今日のホノルルは朝から曇り空。
これを書いているお昼の今は崩れてきてしまい、もうすぐ雨になるでしょう。
ハワイも本格的に雨季へ突入した感じです。
雨季に入って楽しみなのは、ティーの花が咲き始めることです。
ウチの側の垣根に植わっている赤いティーにもうす紫の花が咲いています。
今月の終わりに始まるスフィアのオンラインクラスも始まり、色々と忙しくなって来ました。
四冊目のハワイ本のデータも日本に送ったので、少しは時間の余裕が出来るかと思っていましたが、数日前から新しい本の執筆を始めてしまったので忙しいです。
これは青天の霹靂のような感じで、降って湧いて来たアイデアなんですが、四冊目の次に終らせようと思っていたハワイ本を後回しにして集中して終らせたいと思っています。
この本は図版とか写真とかが関係ない文章主体の本なので、デザインとかレイアウトとかは関係ありませんから、出来れば1~2ヶ月の間に書き上げたいと思っています。
いったい何を書いているのかって?
それは「あなたの知らない不思議な世界」的な内容の本です
★
それでは前回の続きです。
わたし達の五感の中には視覚があります。
目でものを見る機能です。
サイキック的な視覚の能力のことは「クレアヴォヤンス」と呼ばれ、一般的には第三の眼とも、霊眼、心眼などとも呼ばれます。
超感覚の中で最も認識度が高く、この能力に憧れる人は多いでしょう。
クンダリーニ・ヨガでは第六チャクラ、アジュナと呼ばれ、霊的な視覚、透視能力、過去や未来を見渡す千里眼の能力が隠されています。
この第三の眼は人間の脳の松果体に関係し、この松果体は子供の頃は大きく、大人になるにつれて次第に小さくなっていきます。
小さな子供は大人の目には見えないものを見ていると言われることがありますが、これは松果体の大きさに関連していると考えることができるでしょう。
また哲学者、自然学者であり、形而上学に系統していた「近代哲学の父」と呼ばれるデカルトは、第三の目に関連する松果体を「魂の座」と呼んでいます。
人間の脳は脳の根底部にある脳幹、爬虫類脳から発達しています。
松果体は自然界のリズムに同調する性質があり、身体の中のタイマーのような働きをするのです。
爬虫類や鳥類の場合は皮膚の直下に松果体があり、皮膚で光りを検知しますが、人間の場合は網膜視床下部が同じ役目を果し、そこから強い光りの刺激から派生する信号が松果体へと送られます。
この光りの刺激が伝わるとメラトニンというホルモンの分泌が促され始めます。
メラトニンは睡眠を促すサプリメントとして知られていて、身体に強い光を浴びると、約14時間から16時間後に松果体からメラトニンが分泌され始め、人によっては眠気を感じるようになります。
この眠りを誘うメラトニンを放出する松果体は、カルシウム、マグネシウム塩、そして有機質で構成され、視床下部を介して性腺刺激ホルモンの放出を抑制すると言われています。
この第三の眼の開花は人によって時期が異なり、生まれた時から霊的な世界を見ることが出来た人もいれば、子供の頃に止まってしまう人もいれば、女性の場合だと出産後に開花したり、大人になってから開眼したりする人もいます。
多くの人は霊的な視覚を「特殊」または選ばれた人だけが持ちえる「特別」な能力だと捉えがちですが、実際にはそうではありません。
第三の眼は段階を踏んで訓練を積んでゆけば誰にでも開眼可能な能力です。
私のクレアヴォヤンスの能力は生まれつきではなく、26歳の時に南米ペルーの高地にある空中都市マチュピチュへの旅へ出かけた時を境にして向上する努力を行って来ました。(詳しくは「聖なる谷 空中都市マチュピチュを超えて」をお読みください)
- 聖なる谷―空中都市マチュピチュを超えて
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- ¥1,890
- Amazon.co.jp
驚かれるかもしれませんが、実際には誰でも毎日この第三の眼の機能を潜在的に使っているのです。
ただそれがどのような機能として働くのか?
どうすれば意識的に使いこなせるのか? という技術的なノウハウを知らないだけです。
その原因は学校でも社会でも使い方を教えてくれないからです。
このクレアヴォヤンスの能力を持っている方々は、生まれながらに備えているか、突然に開花した方々が非常に多いので、どうすれば意図的に駆使することが出来るようになるのかを説明することが困難だからでしょう。
では例を挙げながら、どうして第三の眼の能力は誰もが持ちえる潜在能力なのかを書いてみます。
私たちは目を開けてものを見ます。
生理学的に書くと、瞳孔に入る光りを通じて映像を眼球の中で受け取り、大脳の後部にある後頭葉の視覚中枢に信号が達しすることによって初めて視覚が生まれるとされています。
しかし、実際にはどうなのでしょうか?
目を閉じたまま何かが見えることは有り得ないのでしょうか?
一番簡単な例は、わたし達が定期的に見ている「夢」です。
夢を一度も観たことが無い人は非常に稀だと思います。
夢の鮮明さは人によって違い、明確に全てを思い出すことが出来るいる人もいれば、曖昧な感じでしか思い出せない人もいます。
人によっては「ルシッド・ドリーム」と呼ばれる非常に明確で色鮮やかな夢を観る場合もあります。
このルシッド・ドリームの中ではドルビー・サラウンド音声付きの夢体験をする人もいます。
ここで何が言いたいのかというと、夢を観ている間、わたし達は基本的に目を閉じているということです。
これは映像を受けとるのは眼球ではなく、瞳孔や眼球は目の前にあるイメージの通り道であり、わたし達は「脳裏で映像を見ている」ことを指しています。
脳裏で映像を見ることに慣れて行くと、第三の眼は活性化を始めるのです。
(続く)
朝モニターに向かってすることは、読者になっているブログを巡回することです。
忙しくて出来ない時もあるのですが、登録されているブログに目を通しています。
まずこれで1時間くらいスグに経ってしまいます。
ブログを巡回して読んでいると、色々と勉強になって楽しいです。
気がついたのは、ブログの書き手が何を考えているかを書いている人が少ないこと。
私は個人的に他人の思考を知ることに興味があるので、その時に書き手が感じていること、考えていることなどが書かれていると、自動的に読み入ってしまうわけです。
読み手を意識して丁寧に文章を書いている人もいれば、日記的に書いている人も、マーケティング・ツールとしてビジネスに繋げて書いている人と千差万別ですね。
ビジネス系はお役立ち情報が分かりやすく書かれていると読んでしまいます。
私が読んでいて楽しいのは、書き手の人柄が気持ちよく良く現れているブログ。
自分が読んで気持ち良いブログを書いている皆さんのように書けるようになりたいものです。
とにかく星の数程の人がブログを書いているわけですから、その中で毎日読みに来てくださっている方には感謝・感謝でございます。
★
ということで、前回の続きです。
私が最近よく考えるのは、人間という存在は、一体どこからどこまでが本人の本当の姿なのかと言うことです。
人間には肉体もあるし、感情もあるし、理性もあるので、非常に難解な動物だと思ってしまうのです。
私は自分の不安定さに自覚があるので、出来るだけ感情に流されない努力を行います。
感情のエネルギーというのは、理性をぶっ飛ばしてしまうと、巨大なエネルギーを派生させます。
通常の場合、感情が暴走し始めたら簡単には止まりません。
感情が派生させてしまったエネルギーを使い切ってしまうまで、永遠と放電し続けてしまうわけです。
感情の乱れが現れている人の近くにいると、波動的に圧迫感を感じます。
エンパスの体感機能が、その人から放射されている波動の圧力というか、弾力を察知してしまうわけです。
まだエンパスの機能がどういうものなのか良く分からなかった時期には、なかり混乱しました。
相手の感情から放射されている波動がスゴ過ぎると、それに対して過剰に反応したりもしていました。
誰かが泣いていたり、誰かが怒っていたり、イライラしてトゲトゲしてたりすると、知らない間にその流れと同化してしまったりしていたわけです。
まぁそんな経験をウン十年間も経験してきたにも関わらず、それは自分のものだと思っていたので、コントロール出来るものだとも思っていませんでした。
ある時このエンパスの機能について考えることを始めたわけです。
自分がエンパスである事を知っているにも関わらず、それが一体どういう働きをするのかが明確に分かっていなかったのが問題だったわけです。
このエンパス機能に関しても、ホボ誰も参考になる人がいないので、自分を観察する他ありません。
そこで自分の感情の動きを観察する癖をつける努力を始めました。
これは朝起きてから始まります。
何故なら、朝起きた時にはスデに誰かの感情の波動に影響されていることもあったからです。
気持ちよく寝たのに、朝起きたら何故か怒っているという不思議です。
まぁこんな感じで、つい数分前は気持ち良く何かをしていたのに、気がついたら何かの原因で非常に不幸せな思考になっていたり、イライラの感情になったりすることも多々ありました。
これに疑問符を感じるまで、相当奥深いところに不満が満ちあふれているんだ・・・と思っていたのです。
とにかくここ数年の波動の上昇でエンパス機能も飛躍的に進化してますから、以前と同じようには感じなくなりました。
ここまで明確に感じることが出来るようになると、自分のものか、他人のものかハッキリ分かってしまうわけです。
もう最近は相手の言葉を真面目に信用しないというか、そのまま受け止めずに目の前で止めて受けとるようにしています。
それは言葉が伝えている事と、相手から出ている波動に互換性が無いことが多々なのだと分かり始めたからです。
特に個人セッションの場合は、言葉尻に捕われていると、クライアントが本当に伝えたいことまで意識を合わせられないので、言葉は言葉、波動は波動で分けて捉える訓練を行いました。
言葉には言葉で返すことが多々です。
それは、思考は思考の波動域を好むからです。
これと相まって、感覚的なところから派生している波動は、同じように感覚の領域で派生している波動を好みます。
この仕組みは二個イチのように働くので、二つとも同時に答える方が的確です。
ちょっと面倒と言えば面倒なのですが、その方が効率的というか、変化が速いのです。
これに加えて、多くの人はオーラに張り付いているネガティブ波動のエレメンタルに共振している場合も多々あるので、そこもシッカリ捉えなければなりません。
理性の度合いを極端に超えている発言や行動をする方は特にそうです。
エレメンタルと感情の関係性を波動に絡めて深く理解できるようになると、人間観察がとても面白くなります。
出かける場所や、会う人によって、思考形態も変化するし、現れている波動も変化するからです。
多くの人は、自分の理性的な思考と、感情が一致しないことが多いことに気づきません。
思考優先の意識状態もあれば、感情優先の思考状態もあるということです。
そういう意味で、自分の思考の流れと、感情の流れを、別々に捉えて観察する癖を付けると、人間的に安定した状態を保てるようになります。
(続く)
今朝は朝から日本の出版社に送るデータをまとめたり、CDに焼いたりと雑務をこなしておりました。
これから出版社サイドで本格的な編集作業が行われます。
これで四冊目のハワイ本。
今回はマニアックではないので、幅広い読者層に楽しんでいただけると思います。
今までの三冊は、私が書いて、私が構成して、自分でデザインまでやったのですが、今回は少し違った制作の方法になりました。
本体部分はすでに完成しているのですが、出版社側から「もっと売れる本にしたいので」というアプローチがありました。
出版社側が積極的に「売れる本」として構成し直すという方法です。
さて一体どうなることでしょう?
現在のところ、春には出版される見通しです。
長らくお待ちになられている皆さん、もう少し待っていて下さい。
ということで、パラダイム・シフトの続きです。
今回は感覚の変化に関して書いてみます。
サイキック・パーセプション(超感覚)には様々な種類があり、皮膚感覚で体感することの出来る能力は、エンパス、エンパシック、またはクレアセンチエンスと呼ばれます。
このエンパスの能力ですが、非常にややこしいというか、紛らわしいというか、難解なんです。
それは、感じているものが自分のものか? それとも誰か他所の人のものか? という交錯が起こるからです。
この体感能力というのもやっかいで、絶えず自分のコンディションをモニターしていないと、非常にバランスが悪くなります。
下手したら、自分のものではない感覚を、自分のものとして処理してしまいがちになるからです。
このエンパスの能力はアメリカ渡米前後という、随分と前から顕著に現れていたのですが、この数年はその急激な進化のお陰で、ぶっ跳び的な学びが続いております。
20年近くもエンパスな症状と格闘しているわけですが、終わりは来ることは無く、ドンドンと進化するわけです。
このエンパスの能力も参考になる方が非常に少なく、自分の周りに能力者さんが沢山いるにも関わらず、他の方のエンパスの方向性と違うようなんです。
参考事例無しに近いので、ほぼ一人で格闘しなければなりません。
一番困るのは、能力者の方でさえ、私のエンパスの能力に混乱してしまう部分でしょう。
他の能力者さんが私を感じた場合に、どこから何処までが私自身のものなのかがカナリ怪しいということが分かってきました。
目の前に座っている能力者さんが私から感じるエンパスな情報は、実は私のものではなく、その本人のものだったりする場合も多々あるからです。
私自身は絶えず自分の身体の状態をモニターする習慣が付いていますから、だいたいは把握してあるわけです。
しかし、目の前の能力者の方は絶えず私の感覚をモニターしているわけではないので、私から感じるものは、全て私の体感だと誤解しやすいわけです。
「あなた肝臓の機能が落ちてるわよ」とか言われても、私の脳裏では、それはあなたの肝臓でしょ・・・というツブヤキが出てしまうわけです。
または「多分それは私の物ではなく、ウチのルームメートのものでしょう・・・・」ということも多々起きます。
簡単に言ってしまうと、一緒にいる人の波動が私の中で再現されてしまう感じです。
個人セッションでも、グループセッションでも、スフィアのクラスでも全く同じです。
周囲にいる人々に波動的な変化が起きると、それを体感として認識してしまうわけです。
エンパスな能力の不便さに意識を当てていると、本当に面倒臭くなってしまうので、この数年は考え方を変えました。
エンパスの利点を意識に刻む練習です。
ワタシにはこのエンパス機能が付いているので、パワスポの情報とかが出せるのです。
何処に行ったら身体の何処が開くとか・・・・。
パワスポでどんなエクササイズをすれば進化するとか・・・。
ここまで来ると職業病的な雰囲気ですね。
パワスポでヴォルテックスを探す時などにも非常に便利な機能です。
その場所に行けば身体が回転するので、どこにどれくらいの大きさのヴォルテックスが、どのような回転数で存在しているかが分かってしまうわけです。
これはエンパスの能力を使わなくても、超知覚、超視覚を使って見つけ出すことも出来ます。
または、
超知覚→エンパス→超視覚というステップで探すこともあります。
まず初めに知覚レヴェルで辺りをつけ、次に体感機能を使って確認し、更に視覚を通じて細かな情報を概算するような手順です。
このエンパス機能に関するパラダイム・シフトは意外な方向へ発展しました。
昨年の6月に「聖なる谷」が発刊され、キャンペーンが始まろうとしていた頃です。
スターシップが近くに停泊していたということも一つの理由かもしれませんが、エンパスの幅が今までとは違う雰囲気で体感するようになりました。
例えば「聖なる谷」に関しては、それを読んだ人のチャクラが開くのが分かるようになっていました。
この「聖なる谷」という本も不思議な旅行記で、読み手の周波数が本の内容と噛み合ってしまうと、私が体験した経験と似たような体験をしたいう感想が沢山寄せられました。
本を読んで第七チャクラが開いたりとか、第三の眼が開いたりとか。
人によってはシフトが起きたり、宇宙船を目撃したりと言った具合です。
キャンペーン中、私は家にいてどこにも出かけていないのですが、リラックスしていると、突然に身体の色んな場所が開いていました。
しかも場合によっては連続して時間差があるような感じで開いたりしていました。
さぁ寝ようと思ってベッドに入ったら、次々に色んな場所が開くので、おちおち寝てもいられないという状況がしばらく続きました。
このエンパスの能力は、オーラに関係するものです。
そして波動域にも関係します。
これらの新しいエンパス機能からの体験は、オーラの機能、そして波動域に関してのパラダイム・シフトへと導いてくれました。
それまでオーラに関しては然程の興味は無かったのですが、この辺あたりから異様な興味が出て来たわけです。
オーラというのは一体なんなのか?的な疑問符です。
一応はオーラの構造的なことは勉強してますから、どういうものであるかは理解していたのです・・・・。
しかし、そんな自己認識は甘かったです。
それまで持っていたオーラに関する認識は崩壊しました・・・・
崩壊したというか、何も知らないことに驚愕したというか・・・・
一般的に書籍で書かれているオーラの構造的な情報は、多分ほんの氷山の一角です。
まだ明確に理解されていないことや、書籍化されてないことの方が大半を占めるのではないかと思います。
(続く)
シアトルで買って帰って来た本。
「奇跡の物理学」というタイトル。
これを買って少し読んだら、同じ著者の前作を読んだ方が分かりやすそうだったので、前の本を買って読んでいます。
何と、この本の著者のドクター・リチャードさんはシアトル在住。
「マトリックス・エナジェティクス」というヒーリングの技法を広めている方です。
基本的にはクォンタム・ヒーリングと同じ位置にあるようです。
先には先がいるもんですわ。
ということで私は現在、第一作の「マトリックス・エナジェティクス」を読んでいます。
ようやく1/3くらい読み終わりました。
これから更に面白くなる内容だと思います。
久しぶりに読む英語の本なので、少し変な感じ・・・。
私は文章が脳の中で音声になって入ってくるタイプなんです。
この「マトリックス・エナジェティクス」を読んでいると、部分部分で音声が変わって波動域が変化するのが面白いです。
スムーズに脳裏に入ってくる箇所もあれば、まぁまぁの箇所もあり・・・。
全部読み終わったら報告しますね。
これを読破したら物理的な奇跡を起こせるようになるか???