2011/04/22

◆皮膚表面がぞわぞわしたり、涙が出てきたり

2月にホノルルで行った「1日でサイキック能力開発」のベータ版に参加してくださった、yan さんから「聖なる谷」の感想が届きました。

音譜

たった今、ひろしさんの本、聖なる谷を読み終わりました。

少々、興奮気味でメールしております!

途 中、ジャゼワ氏の言葉が強烈に目に入ってきたり、とても優しい気持ちになったり、寂しい気持ちになったり、なんだかよくわからない気持ちになったり、エネ ルギーが下から来たり、皮膚表面がぞわぞわしたり、涙が出てきたりとしましたが、読み終えて、ペルーに行きたい衝動に駆られてます。

やわらかい活字からとても高い波動を感じました。

寂しい気持ちになったのは、終盤、もう旅が終わってしまうという、ひろしさんたちの気持ちを拾ったのかもしれません。

涙が出たのは、スターチルドレンのページで、私も恐らくスターチルドレンなので、何とも言えない気持ちになりました。

小さい頃からの妙な疎外感、故郷や周りになじめない感じ、自分は周りと違う感じ・・・それは海外に行っても変わらないものだったこと・・・などを私も感じてきて、どこかわからない星に帰りたいような気持ちになってしまったのです。

私の中でのカンボジアのアンコールワットは、ひろしさんのマチュピチュのような場所になるかもしれません。

まだ行ったことはないけど、アンコールワットの写真を見てから、どうしてもあそこに行かなければいけないという気持ちになったんです。行ったら、涙をするだろうとも思っています。

私の友人も、私とは関係なく、聖なる谷を読んだと言っていましたよ!

現在、ヒーリングをハワイで学んでいますが、不思議な体験の連続です。

周りの人達に、奇異の目で見られることもしばしばで、それを恐れてあまり自分の体験を語らないようになってしまいました。

また、自分の理解を超えることが起きると、自分はどうなってしまうのだろうという恐怖心があったり・・・

機会があれば、またひろしさんのワークショップやスフィアのクラスを受けてみたいです。

ひろしさんにまたお会いできる日を心待ちにしていますね!

聖なる谷、おもしろかったです!

マハロ

yan

音譜

この感想が届く数日前に、フト「聖なる谷」を手に取って、パラパラと読んでいました。

しかも自分で書いて、何度も何度も読んでいるのにも関わらず、読みながら泣いちゃったりしてました・・・得意げ

この本は1991年に書いたわけですが、今から思えば「どうやって書いたのだろう・・・」と思うことが多々あります。

自分で書いておきながら、自分で書いたとは思えない部分も多々あるのです・・・。

どうやったら、こういう表現が湧いてくるのだろう? と思うような箇所も多々あります。

今のわたしとはかなり違った感性で書かれているからかも知れません。

この本の始まりは、旅行中に行われたジャゼワのワークショップやらセミナーやらの内容をテープから書き起こすことから始まりました。

とにかくそれを文字にしたいと思ったわけです。

ホボ全ての行程が中村氏によってビデオに収められていましたが、何時でも読めるように書き起こしたかったのです。

帰国後から半年間は仕事が終わってから家に帰ると、ビデオを見ながらワープロに向かってタイプしていました。

それと同時に旅行記も書き始めました。

当時は非常に小さい携帯用のワープロを持っていたので、友人たちと美術館に行った時の合間とか、会社の昼休みとか、とにかくどこに行っても書いていました。

今から振り返ると、もの凄いエネルギーと速度で書き終わらせたんだなぁと思い、我ながら若き日の自分に感心してしまいます。


この本は幾度か出版を目指して出版社に送ったのですが、その当時の私は無名の人だったので、思ったようには進みませんでした。

そして出版が決まったのは書いてから18年後だったわけです。


18年前に書いた本を出版するというアイデアは、数人の友人たちから「どうして今更? 読みたい人がいるのかしら?」というネガティブ反応を引き出しました。

彼らから見ると理解出来なかったのでしょう。

18年前の体験が、その当時とは違った波動の現代を生きている今の人々の役に立つのか? という反応だったのです。

この件に関しては全く心配はしていませんでした。

スピリチュアルな感性とか、感覚とかの開花は、人によって時期も違えば速度も違うからです。

現在のような、波動が急速に変化していっている中で、もの凄い速度でスピリチュアルに成長し始めている人々が多くなって来ているのを知っていたのもあります。


スピリチュアルな経験というのは、あるレベルを超えてしまうと、不安を募らせる場合が多々あります。

それまで経験したことが無い、得体の知れないというか、分けの解らない経験が続くと、非常に不安定になるのです。

自分の周囲に、それが理解できる人がいれば話は別ですが、多くの場合はそうではありません。

大抵の場合は、家族や周囲の友人たちから変な眼で見られてしまうでしょう。

それは普通の人たちからすると、理解の範囲を超えてしまっているからです。


過去2000年くらいの歴史の中で、様々な宗教などを通じて、一体どれくらいの人々が悟りや覚醒を目指して修行や瞑想を続けて来たのかは計り知れません。

それらの人々が輪廻転生を通じて現在にも生まれているわけですから、潜在的にスピリチュアルな世界観に親しみを感じている人々の数も計り知れないと思います。
スピリチュアルな世界を勉強している人々にも、様々な開きがあります。

その全ての人たちが、サイキック的に開いてるわけでも、進化しているわけでもありません。

しかし私の観点からすると、18年前に比べると、現在の方がサイキック的に開いている人、開き始めている人が圧倒的に多いのです。


サイキック的な感覚が開いてゆく行程で最も大変なのが、周囲とのバランスを保つという部分です。
周囲との格差が開き過ぎてしまうと、孤立しがちになってしまいます。

今のわたしはカナリ平気になって来ましたが、20年前の周囲の反応は酷いものでした・・・得意げ
変な眼で見られたり、避けられたり、恐ろしく思われたり・・・。

別格視を皮切りに、崇め立てられたり、追いかけられたり、依存されたり・・・。
そう言った意味でも、この本は誰かの役に立つとは思っていたのです。

特に私よりも若い人たち、インディゴやクリスタル、レインボー・チルドレン系の要素を抱えて生きている人たちの役に立つと思っていました。


さらには癒しブームの到来で、多くの人がヒーリングに興味を持ち始めています。

そしてこの先にも同じことが待ち構えています。


クォンタム・レイキや、アドヴァンスのヒーリング技術を教えていて分かったことがあります。

サイキック的な能力の開花と同じく、ヒーリングの経験や勉強等が理解の幅を超えてしまう経験が続くと、バランスが悪くなるのです。

とにかく数年前とは波動域が上昇していますから、昔よりも楽に能力が目覚める状態にあります。

そこで必要とされるのが、それらに関する情報なのです。


出版してすぐに行ったキャンペーンの時に返って来た感想を通じて分かったことがあります。

この本を読んで霊的な経験をしている読者が非常に多いということでした。

この反応と、とても良く似ている反応が戻って来たのが10年前に書いた未出版の「ブルードルフィン」です。

読者がトリップしてしまうのです。

今は文字を書く時に、その文章などに、どうやったら波動を上手く載せられるか? ということを踏まえて書けるようになって来ましたが、18年前にはそんなことは考えてもいませんでした。

ただ勢いに任せて書いただけなのです。

しかしこの本を読んだ多くの方々は、yanさんが書いているように、様々な感情や感覚などが開いてゆく体験をしています。

本を読みながら、18年前の私と一緒に旅をしてしまうのでしょう。

それは読む人の感性とか、波動とか、開き具合にもよると思います。

読者が本を通じて霊的な経験をし得るのは、今という18年前とは違った波動域に突入しているからとしか私には思えません。

更に18年前の私は、今のわたしよりも純粋だったので、それを輪を掛けていると思います。

ある意味で、この本は「生きている」と言えるのかも知れませんね。
まだお読みになってない方は是非ぜひ読んでくださいね。

すでにお読みになられた方、アマゾンの書評も宜しくお願いします!

音譜



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