2010/09/13
波動とエネルギーの違い
では二つ目の項目の「気功的に肉体や生命力に関係するものとして捉える」場合についてです。
波動という言葉が、気功などを始めとした一般的にエネルギー・ヒーリングと呼ばれる分野で使われる場合のことを書いてみます。
よく精神世界の中で「宇宙エネルギー」という言葉で、目に見えない何かの力が表現されることがあります。
この言葉を読んだり聞いたりすると、それは宇宙からやって来てるエネルギーだと思う人が大半でしょう。
この宇宙エネルギーという言葉は「波動」と置き換えて使われることも多々あり、この曖昧な言葉の使われ方が大勢の人に「波動」というものが、何かを動かす「力」だという考え方に導いています。
波動は実質的に「何かを動かす力」でもありますが‘それは「意識の力」であり、また「意識そのもの」なのです。
しかし、それが「波動=エネルギー(力)」として一般的に広まっているので、その本質の部分が理解されることなく、大多数の人が誤解をしています。
エネルギーというのは、何かを動かすときの「力」を指す言葉です。
一般的に「エネルギーがある」とか「エネルギーがない」と表現される場合は、何かものごとを成す時に使われる「力」を表します。
懐中電灯の中に入っている電池が切れていると、電灯を輝かせるエネギーが無いから光りが現れません。
何かの肉体的な労働をする時にエネルギーが無いと疲れやすくなったり、動けなくなったりします。
電池で動くロボットの電池の量が切れると動かなくなり、車を走らせるガソリンが切れたりして動かなくなる状態と同じです。
このような使い方と同じ意味で「宇宙エネルギー」という言葉は、目に見えない、宇宙に溢れている、宇宙を含めたこの次元のどこにでも溢れている「力」として使われています。
この「宇宙エネルギー」は目に見えないので、それが「波動」という言葉の表現に変わった場合も同じように、眼では見えないけれど、何かのことを成してしまえる「波動の力」として結びついているわけです。
そして「気」という言葉の理解も同じように、目に見えないけれど、気を取り込むと元気になったり、それを治療の方向に使うと癌が消えてしまったり、骨が動いたりといった様々な肉体の症状を改善する力として理解されています。
この東洋医学での「気」や、ハワイ語での「マナ」、ヴェーディックでの「プラーナ」も、基本的には「力」として認識されているので、どこにでも溢れている超自然の力、人間を含めた全ての生き物に注がれている「生命力のような力」と理解されるのです。
では「気」と「波動」を関連づける部分を書いてみまます。
この二つを結びつける共通点の始まりは「普通の人の目には見えない」という部分でしょう。
目には見えないけれど、気功師が何も物を使わずに人間を跳ばしたり、気の力で治癒を促したり、ヒーラーが目に見えない力を使って施術をしたりという部分です。
それらの部分がメディアを通じて広まっている一般的なイメージとして結びつきます。
例えば「ナルト」や「ドラゴンボール」などの漫画の中で主人公達が使う波動の力というイメージです。
アメリカではスターウォーズのジェダイが使うフォース(理力)がその代表格でしょう。
これらのイメージは直接的に気功の姿に結びつきます。
最近のアメリカ映画の中では、目に見えない力を使うキャラクターや技術が映像として表現される場合には、見ている人が分かりやすいように、波動の動きに色をつけたり、本当に波のようにエネルギーが空間を進んで行って相手を飛ばしたりする効果が一般的になって来ました。
こういった映像での分かりやすい表現は、イメージとして観る人の頭の中にスンナリと入りやすいので、「波動」というアイデアを一般レヴェルに広める役目をしています。
しかし、それと同時に「波動」の扱われ方が「波動」=「目に見えない力」という図式であることには変わりはありません。
「波動」を「力」以外の表現で使っている作品は非常に珍しいのです。
では次に「宇宙エネルギー」や「気」、「マナ」、「プラーナ」と言った超自然の力に関する共通点を書いてみます。
続く・・・
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