昨日、クライアントさんお二人に合ってセッションをした後に気づいたことがありました。
それは頭の開き具合というものです。
頭の上には王冠のチャクラというものがあるんですが、これが光を取り込んだり、波動を変換したり、取り入れたり、また排出したりするわけです。
これに関係するもので、偏頭痛というのがあるんですが、霊的な偏頭痛というのは、誰かの念:エレメンタルによって起こりえます。
例えば、誰かが私のことを悪く言っている時に、その波動と念がやって来て、偏頭痛として感じられるわけです。
これに付随して、その他の霊的な器官も影響を受けるというのが分かって来ました。
普通に一人で机に向かって仕事をしていている時は、環境的には誰の影響も受けない状態です。
そんな時に、突然に胸のチャクラの左側が軋んだ感じで痛みを感じたり、冷えた感じになったり、閉まった感じになったりすることが何度もありました。
単純に考えて、誰かの波動を引っ張っているのであろうと予測が出来ましたけど、その経験が一体どういう意味なのかは釈然としないままだったわけです。
私の場合、自分のオーラと一緒にいる人のオーラが重なると、相手の身体のコンディションを自動的にモニターし始めます。
この機能は、ほぼ自動的なものなのですが、関係性の深さや、相手の霊的な感覚器官の機能によって違いがあるようです。
例えば出かける前までは正常な感覚で、別に身体のどこにも異変を感じていなくても、人にあって一緒に出かけると、それまで無かったハートの痛みを感じ始めたり、軋みを感じ始めたりします。
その霊的な痛みが私自身に関係する場合は、痛みの度合いがキツイんですね。
これと逆の方向性で、突然に楽になったり、幸せになったり、頭が開いたり、何かが抜けて行くというヴァリエーションがあります。
昨日のセッションの話に戻りますが、お客様と分かれて部屋に戻る少し前から、頭の上が気持ちよくなっていく感覚がありました。
それは一緒に居る時にはなかった感覚です。
そこで気づいたのが、誰かからの良い思念:エレメンタルというのは、霊的な器官を開くということです。
ということは、誰かが誰かのことを本当に感謝して、ありがたみを感じている想念を放つ場合は、その人の霊的な感覚機能を開くように働きかけるということですね。
まぁ人の思念の方向性というのは、常日頃からポジティブ思考の人もいれば、逆にいつもネガティブ思考の人もいるので、一概には言えません。
ポジティブな行動を、逆にネガティブに捉える人もいます。やっかみとか、嫉妬とかの世界ですね。
霊的な感覚機能というのは、別のレベルのコミュニケーションを教えてくれるものなわけです。
言葉や行動で愛しているとか、大事に思っているとか言われても、霊的な感覚のところで、痛みとか軋みとかを感じていたら、本音の部分は言っていることとは反対だというのが分かるわけです。
自分の思念が誰かの霊的な身体に影響を与えるというのが明確になって来たら、自分の言動というものに気をつける必要が出て来るというものですね。
表面的な受けとり方の方が楽な感じもしますけど、霊的な感覚の進化というのは、それを超えたところにあるので、真面目に精進しなければ、自分がキツくなってしまうということですね。
ここ最近脳みそに浮かんでいたのは、自分で自分を躾けること。
いつもバランスのとれた人でいたいもので、ポジティブな努力が必要ですね。
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